第41話 どうなるかよりどうしたいか

この長い不況で、一体どうなるんだろうなんて心配をしますが、心配してもどうなる
ものでも無いようです。そうでは無く、どうしたいかで行動するのが最善ではないか
と思います。但し、その時は既成概念などにとらわれずに、したい事をするが聞く耳
も持つことが大切だと思います。

したい事をするのは本当の自分にとって、最も自分らしくある、という事は最も充実
する。ただ、やり方とかに間違う事があるでしょうから、それらは素直に聞く。簡単
なようで難しい事かもしれません。でも、人がやってるから、或いはやらないから、と
いう事で自分を決めると、心から楽しいなんて事は無いような気がしますね。したい
事して、間違いに気づいたら、どんどん修正しながらどんどん進む。

ヨットやりたいと思った。できる環境でもある。それなら躊躇する必要は全く無いと思
います。時間はどんどん過ぎていく。やりたいという気持ちがあって、それを可能と
する条件、金銭的、奥さんも賛成、少なくとも反対では無い、等があれば充分では
ないでしょうか。始めて、その後どうなるだろうという心配は無用だと思います。最初
から間違わない、最善の方法を取りたいというのは人情ですが、それは無理な話で
す。完璧はありえない。間違わないでと思うとどうしても消極的になってしまいます。

ヨットは必需品では無い。無くても困らない。これが本当でしょう。考えるとそういう
結論に達してしまいます。でも、衣食住さえ足りていれば良いのかというと、そうはい
かない。生きているというのは、飯食ってさえいれば良いというものでも無い。でも、
何故ヨットか?と問われれば、何故いけないの?と言うしかないのですが、様々な
楽しみがある中で、ヨットというものは本当に乗りこむと誰でも良い気分になれるから
ではないかと思います。酔う人はそういうわけにはいかないでしょうが、私も時化ると
酔いますが、それでもヨットは実に面白い。

何故面白いかというと、まず誰でも自分のレベルで楽しめる事。初心者でもベテラン
でも、それが同じフィールドであっても、それぞれのレベルで楽しめる。簡単から難し
いレベルまで、おのおののレベルで楽しめます。その楽しみは何かを得るわけでもな
いし、達成するわけでもない。人の気を引こうとするものでもなければ、気を使う事も
無い、誰かにほめられたいわけでも無く、何にも無いのです。

人は山に登れば頂上を目指し、スポーツではスコアや勝負を気にし、映画を見れば
人工的に造った映画に対して面白かったかどうかを気にします。でも、ヨットは何も無
い。相手が自然ですから、文句言っても仕方が無い。そこで、誰でも平和な気持ちで
居られるのです。そしていつも同じ条件はありませんので、また今度という気持ちに
なる。微風の時はゆったりと漂うように、風が吹けばエキサイティングにスポーツとして
手足のごとく縦横無尽に、セーリングというのは実に平和にさせてくれるものです。
だから誰にでも合うはずなのです。自分のままで良いのですから,最も心地良く、最も
自分が自然で居られ、何にも気を使わない。何かを獲得したいわけでもなく、自然の
ままで、時に最高のフィーリングが与えられる。これなら誰でも、性に合わない人は居
ないのではないでしょうか

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