第50話 ヨットの神様

どの世界にも神様と言われる人が必ずいます。ここで言う神様とは、その道を極めた人間の事
ではありません。ここで言う神様とは自然の事です。自然は常に変化しながら、何でも与えて
くれます。雨、豪雨、嵐、暖かさ、寒さ、雪、そよ風から台風、波、夕陽、大時化、凪、これらに
本当は良いも悪いも無い。それを受けた人間が勝手に楽しかった、辛かった、という思いを抱い
ているわけです。自然がいつも同じ状態ならば、何も解らなくなってしまいます。

ヨットがどんな状況で走るのか。それによって、人間はそれに合わせて走る。自然は常に変化
しますので、ヨットも人間もそれに合わせる事になる。それによって何が起こるか?人間の持つ
あらゆる感情を引き出してくれるわけですね。安心感、爽快感、苦しさ、怒り、悲しみ、全てです。
本当はその一部だけ味わいたいと思います。楽しさ、爽快感、感動、そういうものだけなら、実に
ヨットはたのしいのにと思います。

しかし、さすがといいましょうか、一部しか味わえないとしたら、それは退屈なものになってしまう
と思いますね。爽快感を味わうにはそうでない時を味わわないと解らないのです。一部しか味わ
えないなら、その一部さえ解らない。だから全部を味わえば、爽快感が生きてくる。だから、つらい
思いを味わいなさいというのでは無いのです。積極的に味わう必要は無いでしょう。でも、どうして
も味わう事になるんですね。行きは良いが帰りは辛かったなんて事もあります。でも、それだから
乗らないなんて言うのはもったいない。辛さは楽しさの一部を見せてくれた事になるのです。
だから、神様なのです。全てを与えてくれます。

ヨットは奥が深いと言われます。それは自然が片時も同じ状態では無いからではないでしょうか。
いつも同じなら、極める人も出てくるでしょう。しかし、いつも違う。このヨットの奥深さを与えている
のも自然ですね。一方、初心者が乗れて楽しい状況もある。全てのヨットマンに、それぞれのレベ
ルで爽快感から辛さまでを与えて、ヨットの奥へ奥へと導く。奥へ入れば、その場所で爽快感から
辛さまでを与え、望むなら、もっと先へも案内してくれます。一体、ゴールはあるのでしょうか。ない
んですね、これが。ベテランが初心者が乗れるような状況でも楽しめる。という事はゴールは無い
のです。だからヨットはプロセスの遊びなのです。結果はどうでも良い、プロセスをいかに楽しむ事
ができるか、という遊びです。ゴールがあれば到着したらお終い、でもゴールが無いのですから、
永遠に続く。こういう遊びのルールは人間ではできません。それをもたらしたのが自然であり、
やはり、自然はヨットの神様なのです。

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