第十一話 ハード&ソフト 

今日、ハードについては既に豊かになりました。物が無ければ手に入れる事はできませんが、価格の高い安いはありますが、兎に角、ハードは豊富にある。ハードが豊富になったら、今度はソフトが必要になります。ソフトというのは、それをどうやって使うか、どう役立たせるか、という面もありますが、究極的には、それでどう我々が豊かさを感じれるようになるのかという所に行き着く。

ハードはいろんな面を持ち、使い方によって役立ったり、逆に危険であったりもします。ですから、ハード以上に、ソフトが大事なのかもしれません。ハード面において豊かにはなったが、その使い方のソフトもセットで無ければ、本当の豊かさは感じられないのかもしれません。

一般的に、ソフトはその物の使い方というハウツーである事になります。ヨットであれば、どうやってセールを展開し、どうやってトリミングし、どうやって走らせるかというノウハウです。これさえ解れば、セーリングをする事ができる。確かに、ヨットはセーリングをするという目的がありますので、このノウハウでお終い。その先は自分で考えなさいという立場です。ヨットに限らず、どれも同じです。

それで、自分で考えます。ヨットはセーリングする。セーリングしたらどうなるのか?車ならA地点からB地点に移動できるという明快な答えがありますが、ヨットの場合は、移動目的では無い時は、答えが解らない。

結局、豊かさを求めて、物を手に入れ、それを使う。豊かさこそが我々の究極的な目的になる。それで、豊かさとは何か?という問いになります。物ならたくさんある事。明快です。ではソフト的な豊かさとは何か?簡単に言えば、いい気持ちになる事かと思います。それを使えば、いい気持ちになれる。

豊かさとは、豊富である事。良い気持ちひとつでは無く、いろんな気持ちがある事と考えたらどうでしょう?人間は面倒な生き物で、良いという絶対は無く、良い事ばかりなら、それが普通になってしまう。よって、良い気持ちを味わう為には、そうで無い気持ちも必要になる。要は、いろんな気持ちを味わい、しかも、いちいち喜んだり不安になったりでは無く、余裕をもって、いろんな気持ちを味わうところに、豊かさがあるのではなかろうか?

つまり、心の豊かさとは、心の余裕にあるのではないでしょうか?良い時も悪い時も受け入れる事ができる心の余裕、これがありますと、良い時は良い時として気持ちよく遊べますし、辛い時も、辛さは軽減され、いかにさばくかのゲーム性さえ脳裏に浮かんでくるかもしれません。余裕は何でも遊べる、遊べる範囲の広がりにあるのではないでしょうか?

でも、簡単に心に余裕ができるわけではありません。やっぱり、マジックは無い。自分の経験を積んで、腕を磨いてという事になる。それがある程度は無いと余裕が出ない。また、ヨット自体の性能がオーナーを助けてくれるという面もあります。

デイセーリングをしますと、その日によって、いろんな状況を体験できます。それも短い時間で。経験を積んでいくには最適かと思います。ちょっと辛すぎたら、すぐに帰る事もできます。そうこうしながら、様子を見ながら、体験を積み、腕を磨く。すると、時間経過とともに、慣れもするし、余裕も出てくる。余裕が出てきた分、いろんな状況を遊ぶ事ができる。良い時も悪い時も。良い時ばかりを求めるのが常ですが、悪い状況に遭遇したら、意識して、そういう状況をゲーム化するよう考えてはどうでしょう?嫌だ嫌だと考えても、そこを逃れられるわけではありませんし。どうせならと考えた方が良い。そうこうしているうちに、きっと余裕は膨らみ、遊びの幅が広がる。それに伴って、状況を良いと悪いに分ける事をしなくなるかもしれません。すると、いろんな状況を味わい、感じ、それが豊かさなのかもしれません。豊富な状況を、豊富に感じる、味わう。しかも、余裕を持って、つまりは、判断せずに、そのままを味わう余裕であります。

今から思えば、若い時に苦労した事も、余裕で見る事ができる。今なら、その時の状況に対して、余裕で対応ができる。そういう心境と同じかなと思います。その為には、自分が実際の状況よりもずっと先に進化していなければならない。それには、経験等しか無い?或いは、考え方もあるかもしれません。たいした事は無いと思うようにするとか?何か方法があれば、いつでも余裕。何があっても笑って過ごせる。

豊かな心とは、いろんな事を感じる敏感な感性を持ちながら、それらを余裕で見る事ができる。という事は、いつも余裕のあるセーリングをしながら、たまにちょこっと冒険を混ぜていく。冒険に対しても、何かちょっと余裕も感じる。或いは、苦手意識がある事に対して、何かの折にふっと別な感じを持つ事もあります。たいした事ないか、と思える事がある。そうしますと、余裕ができる。余裕で対処しますと、対応にもゲーム性を創る事もできる。まあ、実際はそう簡単ではありませんが。考え方もおおいに関係します。要は自信を持つ事となるのでしょうが、できる事をどんどんして、積み重ねるしかないのかな?でも、これを克服していかないと、豊かさは感じられないかもしれない。

思考は状況と多分同じレベルにある。ですから、思考のレベルで対応しようとしますと、一喜一憂せざるを得無いが、気持ちのレベルで、余裕さえあるのなら、状況を遊び、対応する自分の思考さえ遊ぶ事ができるのかもしれません。豊かさは、手に入れるものでは無く、自分の中から生み出すものかもしれませんね。ある一定条件の状況が豊かさを生み出すのでは無く、自分の中に余裕を見出す事が必要なのかもしれません。その余裕の為に、経験と腕、そしてヨット、トータルであたり、考え方を良いと悪いとに分離せず、ゲーム性を見出す。そんな事ができるのか?

結局は、ハードは買えるが、ソフトは自分で創り出す事になりますね。そこが個々によって違ってくるのかもしれません。乗り方を考える。使い方を考える。否、実は、できるだけ考えない、頭脳を使わないで、感性で乗るのが良いような。いろんなフィーリングを余裕を持って味わえるようになれるところに豊かさがあるような?でも、その為には工夫も要る。頭も要る。

ヨットは主体性が必要なゲームです。セーリングは簡単ですが、本当に楽しむには主体的でなければならない。自らが求めなければならない。求めれば、求めたくない事も経験します。それを乗り越えないと本当に遊ぶ事はできない。そういう意味では、難しい遊びなのかもしれません。それをやろうとされるのですから、ヨット乗りはたいしたもんです。

スキーだって同じですね。でも、スキー場の決まったコースと、自然のワイルドなコースでは様相は全く違うでしょう。ヨットはスキーに例えるなら、みんな自然のワイルドなコースを走るのと同じ。自分で管理して、自己責任。だからこそ、スキー場では味わえない面白さがある。それにみんな挑戦しようとするのですから、たいしたもんです。もし、スキー場のような、整ったセーリング場があるとしたら、もっとたくさんの人達が気軽に遊ぶ事ができて、人口も増えるでしょうが、いかんせん、デイセーリングのフィールドでさえ、自然なワイルドコースです。皆さん、ワイルドなのです。それを楽しめるという事は、実は世間一般の価値観からして、すごい事なんだろうなと思います。

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