第三十二話 理想的セーリング

良い風と好きなヨットがあれば、そしてそのヨットを自由自在に操る事ができたら、と思います。でも、ヨットは風任せ、好きな時に、良い風が吹いてくれるとは限りません。そこがもどかしいところで、昨今の、何でもコントロール下におこうとする風潮からしたら、面白く無いとなるのかもしれません。

現代は、科学の時代で、科学の時代というのは、何でも支配下に置きたい、コントロール下に置きたいと思うようになる。どこかに行くにしても、時間通り電車は動いてないといけませんし、部屋は温度コントロールがなされていないといけません。レストランでオーダーしたら、すぐに来ないといけませんし、誰でも、自分の周りはきちんと作動しないといけません。壊れたり、遅れたりする事は受け入れがたい事ですので、イライラしてきます。

そういう時代に、風がどうかなんて、まして良い風が吹くかどうかなんて曖昧な事は、我々にとっては許しがたい事なのです。ただ、現代の科学では気象をコントロールできない事は誰でも解っていますので、受け入れざるを得無い事も解っています。そうしますと、コントロールできる分野と、コントロールできない分野があり、人はできるだけコントロールできる分野に居たいと望む。その方が快適だからでしょう。

遊びにおいても、ディズニーランドに行けば、きちんとコントロールされていますから、遊べます。飲み屋に行っても、オーダーすれば、ちゃんと出てくる。電車や飛行機で旅をしても、そうですね。ですから、こういう世界で遊ぶ方が遥かに楽で快適です。ちょっとした冒険心を味わうにしても、テレビゲームの世界なら、ちゃんとコントロールされた中で、疑似体験ができる。それが現代の科学的社会という事かと思います。特に、日本は、そういうことが他国よりもきちんとしているようです。

しかしながら、セーリングをするとなりますと、状況は違ってきます。ヨットは良い。コントロール下に置く事ができます。しかし、晴れるのか、雨なのか、風はどうか、波はどうか?科学のお陰で、予測はできますがコントロールはできません。という事は、ヨットで遊ぶという事は、ヨットに限らず、自然の中で遊ぶという事は、半分はコントロール下には無いという事になります。本来は、我々現代人にとっては、受け入れがたい事であります。コントロールできないという事は、どうなるのかは解らないという事ですから、ディズニーランドに行くのとはわけが違う。

しかしながら、そのどうなるか解らないという状況は、何でも支配したいという欲求を持つ我々にしても、ある一面では、冒険心をそそる部分として、反面の魅力を感じさせる事なのでしょう。その予測不能な所が魅力でもあり、決まりきった社会で生活する時、快適でありながら、ある種の欲求不満もあるのではないかと思います。それが予測できない世界に何らかの魅力を感じさせる。

ところが、何でも支配下に置く事に慣れてしまっている我々は、ついつい、雨でも降ろうものなら、風が強すぎたりしようものなら、或いは吹かなかったりしようものなら、いつもの癖で不満を感じてしまう。考えてみれば、天候は支配下には無いのですから、受け入れるしか無いにも拘わらず、そんな事は解っているにも拘わらず、でも、つい漏らしてしまいます。それがいつものの悪い癖ですね。

理想的なセーリングとは、本当に楽しむ為には、コントロールできないものに対しては完全な受身でないといけないのかもしれません。つまりは、今の天候に不満をい漏らす事が、自分にストレスを創りだしているのかもしれません。無意識のうちに、コントロールできない天候に対して文句を言っているのかもしれません。

それで、理想的なセーリングとして、良い風が吹いて、快走するとか考えますが、それが理想であるなら、ヨットを楽しむ事はできないのかもしれません。滅多にそういうことは無いのですから。従って、本当に楽しむ理想的なセーリングとは、今ある状態を完全に受け入れて、その状態で、どういうセーリングができるのか、自分の思う、より良いセーリングを、コントロールできるヨットや自分の腕で近づける。そういう事ではないかと思います。

良い風吹けば、誰でも快走できる。でも、風が弱いとか、強いとか、波とか、それがどんな状況であれ、その中で何ができるか、その中で最高のセーリングを味わう事、弱い風ならそれなりに、強い風ならそれなりに、それを楽しむ事ができるかどうか?そこにかかっているのかもしれません。

完全に受け入れる事ができた時こそ、理想的なセーリングができるのかもしれません。それは現代人にとっては簡単な事では無いでしょう。だからヨットをしようという人は多くは無い。でも、その受け入れができた時、我々はいかようにも楽しむ事ができるのではないかと思います。これが理想的セーリングなのかもしれません。つまり、何でもコントロールしようなんて事はまだまだ狭量で、受け入れられる度量をもってこそ、心から遊ぶ事ができるのかもしれません。

かく言う私も、ついつい漏らしてしまいます。もうちょっと吹いてくれたらな〜。いやいや、これからは、受け入れるという事を意識しておきたいと思います。できない事をあれこれ考えても何にもなりませんし、できない事は受け入れてこそ、次が見えるのかもしれません。すると、又違う味わいというものが出てきそうな気がします。

しかし、反面、コントロールできる事においては、できる限り知識と技術をもってあたる事が、いかなる状況においても、より良いを得る手段でもあります。自分のコントロールできる部分と、自然のコントロールできない部分との、共同作業という事になります。このあたりの微妙なニュアンスが面白さの分かれ道?考えようによっては、セーリングはディズニーランドよりも遥かに面白い。

面白さとは、大きな冒険心だろうが、小さな冒険心だろうが、それをいかに満たしてやるかにかかっているのかもしれません。コントロールできない状況下に敢て挑戦するところにあるかと思います。ヨットをやるというのは、その冒険心をいかに満たすかになります。コントロールできない状況を受け入れ、その中でも最高を目指す。これ以上の冒険心を満たす方法は無い。ディズニーランドは楽しい所、海は面白い所。このふたつは似て非なるものかと思います。従って、全てのヨットマンは冒険者なのではないでしょうか。敢て、コントロールできない自然の中に出て行こうとするのですから。

そして、それを面白くする第一歩は、受け入れる事から始まるのかもしれません。もちろん、どんな状況下でもセーリングに出るという意味では無い事はあきらかです。風が強すぎたら、やめようか、それも受け入れた事になると思います。自然はコントロールできないという事を受け入れるという意味です。そうしたら、ストレスは激減します。そのうえで、自分のヨットと腕で、セーリングを試みる時、また違った味わいがあるのではなかろうか? 理想的セーリングとは、何か固定されたものでは無く、今の状況下で、どんなセーリングができるだろうか?になる事ではないか?

もし、そうなら、例えば、夢を持つ事は良いとされます。夢は何らかの活力を生み出します。しかし、夢は同時にできないというストレスも感じるかもしれません。そこで、いつかは日本一周したいという夢を持つにしても、どこか頭の隅に置いておいて、今は現状を受け入れて、その中でできる最高のセーリングは何かという事に集中した方が良いのではなかろうか、と考えます。

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