第三十九話 目から体へ

人間の視覚というのは、我々が持つ五感の中で最も情報量が多い。ですから、多くの場合、我々はその眼に頼る事が多くなります。目を閉じている時でさえ、脳で想像して、擬似的視覚を使おうとします。それが最も理解し易い。頭脳がそれを求めています。理解しないと、頭脳は不安になる。

セーリングしていますと、視覚の情報は海、波、陸、他の船、場合によっては魚とか。また、耳は風の音を聴き、波の音を聴きます。鼻は潮の香り、舌は使いません、或いはスプレーを浴びた時のしょっぱい味。そして体はヨットの動きを感じます。

我々は視覚に頼る事が多いのですが、どうも刺激が足りなくなる。情報量が多ければ多い程に、刺激を求めるようになります。するとセーリングでは刺激が足りないと思うようになる。鯨でも出てくれば良いのですが、イルカでも跳ねてくれれば良いのですが、そんな事はありません。

風の音もそんなに珍しい音でも無いし、波の音もしかり。潮の香りはさらに刺激が無い。体でヨットの動きは感じます。でも、これも吹けば刺激になりますが、そうでも無い時はやっぱり刺激が足りない。多くの刺激を視覚から求めたい。それが普通かと思います。

レースに出ますと、視覚が刺激されます。それで、レースは面白い。しかし、また別な面もあります。それで、旅なんかしたくなる。旅をしますと、視覚の刺激があり、また、旅先でご馳走なんか食べますと、舌にも刺激を与えられます。でも、そうしょっちゅうはやってられません。

そこで、最も情報量が多い視覚を考えます。美しいヨットは刺激になります。誰でも美女は好きですから。さらに、その美しいヨットも、例えばブームカバーが破れて、ロープでぐるぐる巻きにしているなんかは、視覚的に非常に見苦しい。カビがはえているなんて言語道断。きれいに美しくが良い。

しかし、それでも不十分。セーリングに出ますと、目で見える内容は先ほど挙げた程度、それで、風向風速計を設置しますと、風を視覚化できる。これは刺激になります。また、スピード計を設置しますと、これも船体の動きの一部を視覚化できる。GPSも同じような刺激になります。これでちょっとは視覚に刺激を与える事ができます。

しかし、まだまだ不十分。そこで、どうしたら良いか?
嗅覚なんかはどうしようも無い。聴覚は音楽でもかければ、またこれは刺激になります。でも、まだまだ。

セーリングにおいて、最も感じられる部分というのは、体ではないかと思います。ヨットの動きを体で感じる事ではないかと思います。スピードを体で感じる、ヒールを体で感じる、舵を持つ手にも感じる。ちょっとした変化を体で感じる。ヨットにおいて、最も変化しているのは船体の動きです。ならば、セーリングを楽しむのは、体でヨットの動きを感じるところにあるのではないかと思います。

恐らく、体は最も敏感なセンサーではないかと思います。もちろん、体には耳の三半規管が関係していますが、大きな刺激ばかりでは無く、小さな変化を最も感じれる、敏感な器官ではないかと思います。目で見て、セールを観察し、セールを調整します。風を計器で見ても良いし、スピードを計器で確かめても良い。しかし、やはり最後には、体で感じるところに最大限の集中を要する。そこに変化を感じる。それをどれだけ集中して、感じ取れるかにかかってくるような気がします。

それが解ってきますと、いろんな変化が感じられるようになりますと、セーリングは多くの変化に富む事が感じられる。ひょっとしらたら、わずかな変化さえも面白さになるかもしれません。視覚に多くの刺激を頼ると、たいした事は無い。他の感覚も同様でしょう。ですから、体で感じる事に、集中するのが良いと思います。

目の不自由な方がヨットに乗られます。多分、彼らは、我々が想像する以上に、変化を感じているはずです。きっとセーリングの面白さを、肌で感じておられるのではないかと思います。

目だけを頼りにしますと、飽きてきます。変化が足りません。でも、体を頼りにしますと、多くの変化が解る。ほんのわずかなヒール角度の変化さえも解ります。加速感も解る。波の当たる変化も解る。舵に伝わる変化も解る。主役は体で、目で得た情報でコントロールしながらも、体で感じる。
小さな変化は、体が最も感知し易い。つまりは、セーリングを楽しむには、主役を目から体に移し、他の器官は、そのサポートにする事。

その上で、美しいヨット、美しい夕日、美しい海等々が活きて来る。耳に入る波や風の音が活きて来る。

もうひとつありました。頭脳です。頭脳はいろんな事を考えますと、他の器官が鈍くなります。ですから、必要な時以外は頭は使わないことが重要になります。しかし、セーリングに関しては、頭脳は結構黙っている時が多い。集中が簡単に出来やすいと思います。ですから、それを目では無く、体に持っていこうという事になります。

是非、次のセーリングは、特に体の感覚に集中してセーリングしてみてはいかがでしょうか?繊細になればなる程、面白さが湧いてくるのではないかと思います。ほんのわずかな船底の汚れが解る事もある。本当はみんな体で感じて、面白さを体験しているはずなのですが、あまり意識されていないのかもしれません。ですから、意識して体のセンサーをもっと敏感にして、セーリングしてみる。体がどれほどの変化を感じ取っているかを意識してみるというのはどうでしょう?

計器には関係無く、ふっと加速した時、それを体で感じ取れた時、実に良い気持ちが湧いてきます。滑らかなタッキングをした時、その滑らかさを感じるのは体です。快走は目も刺激しますから、面白い。でも、今度は体で感じてみましょう。どう違うんでしょうか?セーリングは体で乗る。体が主役で、他の器官は脇役です。もちろん、脇役も働かなければなりませんが、それは主役の為。名脇役が主役を引き立てる。

普段、我々は眼を主役に生活をしている場合が多い。セーリングは体が主役となりますと、普段とは全く違う事になります。だからこそ、そこを面白さにできた時、きっと違う世界を手に入れたような感じになるのではないかな〜?違う種類の面白さが体験できると思います。それが非日常。

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