第二十二話 セーリングという行為 

セーリングをするというのは、ピクニック的セーリングから、スポーツ的セーリング、そして競争するというレースまであります。いずれもセーリングですが、視点が異なります。それにもうひとつクルージング的セーリングというのもありますが、あまり重視されてはいないようです。少なくとも沿岸クルージングにおいては。それはそれでも良いと思います。沿岸の旅において、セーリングは補助的になっても仕方無いと思います。主役は旅にありますから。

他の三つのセーリングですが、ピクニックセーリングは、これもピクニックとして楽しむ事が主ですから、これは普段はレースしたり、スポーツしたり、或いは旅を楽しむ人達が、合間に行う楽しみでしょうから、これはこれで良いし、ピクニックではそんなにセーリングを深く考える事も無い。

それで残るふたつのセーリングですが、要はセーリング重視で、違いはレースであるか否かになります。レースでは勝つ事、優勝では無いにしても、ある特定のヨットには勝ちたいとかいう事になり、これの主役はレースその物にあります。最高のセーリングをしても、最高のフィーリングだとしても、横をスーっと抜かれたりしますと気分は良く無いし、今最高であっても、状況によってはタックしたり、違う何かに変更をせざるを得無い事もあります。でも、レースの醍醐味はその競技にあります。自分の艇が速ければ良いという以外に、他の艇との駆け引きがあったりします。そこが面白さでもあります。

最後に、純粋にセーリングそのものを味わうというセーリングがあります。レースの醍醐味はありません。でも、ピクニック的では無く、スポーツ的です。こうして、ああして、ヨットはその度に反応し、その変化を楽しみ、快走を目指し、変化を観察し、気分を味わう。まさしく、純粋にセーリングそのものを味わうセーリングです。

同じヨットでも、乗り方によって、これらはみんな目的が異なります。ですから、味わいも異なりますし、操作から、考える事から、感じる事まで、同じヨットでありながら、みんな違う。その違いを認識したうえで、最も自分に合う使い方を軸として、そこに大半の時間とエネルギーを使い、その他は、レジャー的にでも遊べれば良いんだろうと思います。それでも、軸がきちんとある限り、楽しむ事ができる。

あまり宜しくないのは、自分がヨットのどの部分を軸にしたいのかが解らない時、使い方を意識していない時、何となくという時かもしれません。何かに永遠に固定する必要も無く、とりあえず、今年はレースしてみるか、スポーツしてみるか、あるいはどこかに行ってみるか、と考えても良い。
或いは、今日は、レース、今日はスポーツとか、今日1日だけでも良いかと思います。今日1日の軸は何かを決めて、その日はそれに徹してみる。

ヨットには当然ながら、何々向きという性格を持っています。ですから、クルージング艇でレースに出ても勝てはしない。でも、レースとしての味わいは真剣に取り組むなら、多少なりとも味わえるでしょう。スポーツセーリングにしてもしかり、スピードはたいした事は無いかもしれないが、多少なりとも、操作してその帆走を楽しむ事はできるでしょう。今日は、そう決めたのですから、今日1日だけ、そこを味わってみる。

そんなこんなしているうちに、本当の自分の乗り方が見えてくるかもしれません。もっと速いヨットがほしくなったり、セーリングが面白くなったり、或いは、旅の醍醐味に目覚めるかもしれません。とにかく、何となく乗るでは無く、今日は何と1日単位の乗り方を決めてはいかがでしょうか?

決めてしまう事で、意識がその方向に向かいます。決めなければ、何となくになります。どんな乗り方、使い方にせよ、ひとつ何か軸をもって、これが主たる使い方というものを持つ事は、これからの長いヨットライフに必要かと思います。長ければ、長い程、そういう軸があった方が良いと思います。そして他の事はバリエーションです。全部バリエーションになったら、何をしているか解らないし、10年後に何をしてきたか解らないと思うかもしれません。

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