第九十九話 価値観

物に対しては、ある種の価値観をもって居ます。しかし、見えないものに対しては、なかなか価値を見出せない。それが、ちょっと昔、情報という見えないものに対しての価値という事が騒がれた。それから、著作権だの云々。

見えないものの価値の査定は難しいものがあります。しかし、それらがどれだけの役目をしているか、場合によっては計り知れません。プログラムソフトなんかもそうですね。

見えるものは査定がまだしやすい。しかし、見えないものは、扱う人によって、大きくなったり、小さくなったりします。それは莫大な富を生み出す事もありますし、ゴミとして捨てられる可能性もある。
その情報がどれだけの可能性を持つか、解らないだけに査定が難しい。

しかし、自分自身の事に関して言えば、嬉しいとか、悲しいとか、それがもたらす見えない情報には、もっと敏感になって良いのではないでしょうか?

そのヨットは何ができるか? それができたことによって、どんな感情をもたらすか?究極的には、その感情が重要であります。物を買うという行為がありますが、究極的には、その物がもたらす感情を買う事になります。その感情はどんなものだろうか?そういう意味では、ヨットを買うという事は、そのヨットのソフトを買い、そのソフトがもたらす感情を買う事になります。

そのヨットがどんなヨットであるかは、どんなフィーリングを味合わせてくれるのか、という事に尽きる。何人乗れるのか、何人寝れるのか、温水シャワーがあれば、冷蔵庫があれば、と物理的な部分を考えますが、究極的には、それで何が味わえるのかという事になります。

我々は物を手段として、それがもたらす好ましいであろう感情を手に入れたい。と思っています。
物はやがては壊れ、朽ち果てますが、一旦手に入れた感情は、いつでも思い出す事ができます。

価値観の違いは、得たいと思う感情の違い。自分が思う美しさや、セールフィーリング。そのフィーリングに対して、買う価値があるかないか?使ってみないと解らないのですから、そこが難しい。
でも、自分が手に入れたいフィーリングはどんなものか?と意識してみるのも悪く無い。良い気分を手に入れるアプローチとしては、まずはそこが知りたい。漠然としたアイデアはあるものの、意識すれば、段々と具体性を帯びる。

ヨットがもたらす感情はどんなものか?速いヨット、重いヨット、軽いヨット、いろんなヨットがあります。どんなに高級であろうとも、自分が求める感情をもたらしてくれるかどうか?

良いヨットとは何か?という話が時に出る事があります。頑丈とか、速いとか、いろいろありますが、結局は、自分の使い方に合うかどうかと言われます。でも、究極は、そのヨットがもたらすフィーリングをどう感じるかになると思います。

旅に出る、レースに出る、セーリングする。その時々に、どんなフィーリングが湧いてくるのかを、漠然ととらえるのではなく、意識してみてはどうでしょうか?そのフィーリングに対してお金を支払っているわけですから。ヨットを買うのでは無く、ヨットがもたらすフィーリングを買っています。大事なお金を支払うわけですから、その対象となるフィーリングに注意を払うのは当然な事でしょう。

良いヨットの価値観は、自分が求めるフィーリングを、そのヨットがもたらしてくれる。そして、もっと、その先のフィーリングを味合わせてくれる。本当はその為に、サイズがどうとか、艤装がどうとか言います。でも、これらは手段であり、その先のフィーリングが主役です。ですから、便利を買うのも悪く無い。しかし、その便利がどんなフィーリングをもたらすのか?もっともっとフィーリングという事を意識した方が良いんじゃないでしょうか?

結局、我々が生きているというのは、このフィーリングをどれだけ味わうかにかかっている。うまい食事、温泉へ行く、テレビを見る、仕事をする、遊ぶ.... これらはみんな、どきどきするとか、わくわくするとか、安心感とか、不安とか、スリルとか、そういう感情に解決し、それがまた次へ進む要因にもなっています。という事で、もっと自分のフィーリングを意識しようという話です。

セーリングするだけなら、ヨットは何でも良い。でも、フィーリングが違う。だから、面白さも違う。

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