第十三話 速いヨット

以前はレースしませんから、速くなくて良いです。そういう声は多かったと記憶しています。しかし、最近では、レース目的じゃ無いけれども、速いのが良いという声を良く聞きます。

レースでは無くても、速いのが良いというのは、セーリングを楽しむうえにおいては重要になってきます。という事は、セーリングを楽しもうという人達が増えてきたのではないか?と勝手に想像しております。クルージングに行くにしても、近場であるなら、それにしょっちゅう行くというのでも無ければ、通常はセーリングになりますから、そうなると帆走して面白い方が良いに決まっています。

けれども、面倒くさいヨットは御免なのですね。レーサーが速いのは解っています。しかし、走らせるのが難しかったり、熟練したクルーが必要だったりでは面倒なんですね。

それなら、簡単操作で、尚且つ速いというのが面白いかと思います。すると、性能を目的としますと、ヨットには目に表れないいろんな要素が要求されます。冷蔵庫があるとか、無いとか、温水が出るとか出ないとか、そういう目に見える物というのは、比較的に安いものであります。でも、目に見えない性能というのは、いろんな要素が複雑にからみますので、造る側も、手間がかかるんですね。素材、デザイン、工法、強度、重量、リグ、艤装、全てにかかってきます。何で、そんなに高いの? 理由はここにあります。

軽いヨットは速い。でも、軽いだけじゃあ駄目ですね。実は、速いだけでも駄目で、セーリングを重んじるということは、スピードのみならず、セーリングのあらゆる部分を感じ取ります。ですから、速いだけでは駄目ですね。ハルの堅さを持ちながら、軽い。スタビリティーの高さを維持しながら軽い。他にもいろんな事が必要になります。

また、艤装にしても、いろいろあります。配置もいろいろあります。設置の仕方もいろいろあります。素材もいろいろあります。突き詰めていけばキリが無いかもしれませんが、いろんな艤装品も全体の一部として、フィーリングに影響を与えます。

つまり、レースをしないハイパフォーマンスヨットは、速さと使い易さとフィーリング、最も重要なのはフィーリングじゃないでしょうか。それをどこまで求めるか、どこで妥協するか?

速いヨットをレーサーの方では無い方が求められる。これは嬉しい現象です。セーリングはスポーツです。速さが全てでは無いけれども、セーリングをするなら、速い方が面白いというのは当然の結果で、それが少しづつ現れてきたのではないかと思います。という事は、セーリングを重んじる方々が増えてきたという事ではないか、と喜んでおります。

セーリングという事を頭で考えますと、何が面白いのか?という疑問も湧かないわけではありません。それに速いヨットが何が良いのかも解らないかもしれない。何故なら、競争ではないから。でも、スピードが与えてくれる感覚は、明らかに違います。加速する時の感覚は明らかに違います。
つまりは、スピードを手段として、もっと違う感覚を味わいたい。スピードが上がると、世界が変わる。世界は感じる世界です。だから、セーリングでも速いというのは、面白さに繋がる。勝つ事とは違います。セーリングは何を感じるか、セーリングをするあらゆる場面で何を感じるか?それが主たるセーリングの目的ではないかと思います。

では何故、感じる事を重視するかと言えば、感じる事こそが生きている事だからではないでしょうか?死んじゃったら、何も感じません。その感じた事に、あれこれと解釈を加える前に、感じたままを感じる。そういうセーリングができる。セーリングだからこそできる。無心に感じます。何故、セーリングでそれができるのか?損得勘定の無い遊びだからでしょうね。勝ち負けの無い遊びだからではないかと思います。

どこかに行く為では無く、勝つ為でも無く、ただ感じる為にセーリングする。生きるという事の根本があるような気がします。それが何?と問われれば、解りませんけど。でも、無心に感じてきたら、何かほのかな充実感のようなものが、これまた、あるような気がします。

速いヨット、おおいに結構かと思いますね。

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