第二話  遊ぶ

遊ぶと言いますと、何がしかの快楽、満足感を期待します。しかしながら、現実はうまく行く事もあれば、行かない事もある。快走して、しびれるような感覚を得る事もあれば、無風でしかも今の天候のように猛暑という時もあります。

しかし、もう少し考えてみれば、遊ぶというのは、満足感を得ようとするも、そうで無い事もあるわけですから、それらを含めて遊びと考える方が良いかもしれません。

機械の遊びと言いますと、ふたつの部品が組み合わされる時、少し余裕と言いますか、所謂遊びがあると言いますが、遊びとは本来そういうものなのかもしれません。快感も不快も、それを受け入れる余裕がある事、それが遊びなのかもしれません。

つまり、遊びとは、一般的な楽しい事を指すのでは無く、受け入れられる余裕の事を指すのかもしれません。もし、そうなら、我々は一生懸命遊んでいるようで、実は遊んでいない。快走しか受け入れられないのなら、遊んでいないことになります。

仕事をすれば、見返りを期待します。期待があるなら、遊びにはならない。その期待を遊びにも期待しますと、良い事以外は受け入れられないし、遊びから楽しく無い事を得る事になります。あんた達は良いね〜、好きな事を仕事にできて。と、こんな事を言われる事がありますが、何らかの期待がある限り、仕事でありますから、何であろうと、仕事は楽ではありません。でも、好きでやってる事には違いないので、良い事は良いんですが。

何をするにしても、良い事もあれば、悪い事もある。この良いと悪いは、自分が勝手に決めていることではあるのですが、良い事を求めつつも、そうで無い事を受け入れる余裕、つまり遊びを持つ事は、楽しむうえに大事な事かもしれません。それは良いと悪いを越えた、面白さを感じれるかどうかになるのかもしれません。

重要な事は、楽しいか、楽しく無いかでは無く、面白いかどうか?

という事は、ヨットは楽しいですか?セーリングは楽しいですか?と聞くのは間違いで、楽しい時もあれば、楽しく無い時もありますから、ヨットは面白いですか? セーリングは面白いですか?と聞くのが正しい?

面白いと感じるのであれば、それは遊びでありますね。仕事でも、一般的遊びでも、面白いと感じるなら、遊んでます。楽しいか、楽しく無いかで分けるのは、たいした事は無い。

そうしますと、遊ぶのも大変です。ですが、面白さを感じるなら、それ以上の事は無い。ですから、ヨットを面白いかどうかという視点で捉えてはどうでしょうか?そこに遊びの本質があるような気がします。そうなると、遊びだからと言って、軽んじられるべきでは無い。遊びこそが重要なのでありますね。

その遊びに、幅が大きいか、キャパシティーが大きいかどうかで、どれだけ遊ぶ事ができるかになりますね。こういうキャパシティーの大きな人を、器が大きいと言うのかもしれません。その器をもっと越えますと、究極的には、何でも来いとなるのかもしれませんが?

デイセーラーは最も楽にセーリングを楽しむ事ができます。しかし、本気でセーリングするなら、楽だけでは済みません。ですから、面白いのでありますね。

便利機械を取り入れて、楽になりますが、面白い事とは別であります。自分の面白さとは何か?

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