第二十五話 気分

理屈はそうでも、何となく気分が乗らない事もある。そんな時こそ、誰かを誘って、いつもとは違うセーリングを試みる。どこかのドライブイン的スポットに寄ってみるのも良い。それで気分も変わるし、ゲストには、楽しんで帰ってもらいたい。おもてなしの心であります。

気分が乗らないのは、自分の気分。自分の事を考えています。それで気分が乗らない時は、他人の事を考えるのも手ではないでしょうか? だから、誰かを誘って、その人をもてなす事を考える。
そしたら、気分は変わって、乗ってくるかも。

いろんな時に応じて、いろんな気分がありますから、いろんな事をする。セーリングが核になったとしても、気分屋ですから、いつも充実したセーリングができるはずもない。核であるセーリングを充実させる為にも、いろんな気分に応じて、いろんな事を考える。

今日は掃除でもしてみるか? 古くなったロープを交換してみたり、いろんな箇所のメインテナンスを自分でするのも方法でありますね。動きが悪くなった箇所を覗いてみるとか?エンジンルームはクリーンでしょうか?終わったら、うまいコーヒーでもいただきます。さて、今の気分は?

できれば、キャビンでテレビを見るとかいうのは避けた方が良いような気がします。何故なら、体が動いてないからです。視覚と脳だけでは、ヨットでは無くて良いし、体を動かした後なら良いかと思いますが、どうも、そんな気がします。かつて、読書でも、と書いた事ありますが、もちろん、良いわけですが、でも、読書が楽しくて、楽になって、しょっちゅうとかになりますと、体が動かなくなる恐れがある。そういう気分を作り出しかねないという事です。体を動かさない事に慣れると、乗るのが面倒に感じられるようになるかも?なにしろ、人間は怠け者であります。

ですから、体を動かす。その合間程度が良い。読書もテレビも、ヨットである必要は無い。ヨットを別荘、ヨットを書斎替わりとかいう事もあるでしょうが?それが主になってきたら、それが楽しいなら、本物の別荘の方が良い。

気分の移り変わりで、使い方も変わってくる。時々は浮気したとしても、主は何か?という事は意識された方が良いと思います。そうでないと、気がつかない間に、ヨットがヨットでは無くなり、楽しみ方も曖昧になり、いつの日か、乗らない日が多くなり、魚の住処となりかねない。

ヨットをどう使おうが自由ですが、やぱりヨットはセーリングしている時が最も美しいし、それを楽しんでいる時が最も良い。ヨット本来の機能を果たしてやるのが良いと思います。

本来の機能と言えば、クルージング艇の機能はクルージングする事。これなしでは、そのヨットの良さが解らない。仮に、これでレースに参加しても、本来の機能は別なところにある。できれば、そのヨットの本当の姿を見たくはありませんか?

レーサーでクルージングしても良い。でも、レーサーはレースをしている時が、最も美しいんだろうと思います。サラブレッドの馬が美しいのは、走る姿が最も美しい。サラブレッドの馬に、馬車を引かせては、馬の本来もつ性能が発揮できません。レーサーは速く走らせてやらないと、いけませんね。そのヨットを最も楽しむ方法が、それでしょう。ならば、デイセーラーは、感じるセーリングです。走らせて、その感覚を、より良い感覚を味わうのが良い。

本題の気分から、ちょっと横にそれましたが、気分。気分は侮れない。気をつけないと、いつの間にか怠けの気分が支配し、面白さを奪ってしまう。そして、退屈だ〜と感じてしまう。退屈だ〜と感じたら、それは怠けの気分が増えてきた証拠。自分の事しか考えていません。そういう時は、誰かを接待して、楽しんでもらう。それが最も良い方法ではないかと思います。気分に気がついて、気分を変える。大事なことかと思うんですが。

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