第四十ニ話 帆走

動力を使って走る、動くというのは当たり前として受け取っていますが、セールを使って走るというのは、考えてみればエキゾチックな行為です。燃料は風であり、計算できないものであり、昔ならいざ知らず、現代の科学技術からしたら、帆走するというのは、実に頼りないものです。

その風を燃料にして、セールの角度や形で燃料の利用の仕方が変わり、ヨットの動きが変わる。という事は、ヨットをしよう、ボートでは無く、ヨットの方が良いと思ったのは、このエキゾチックな遊びを体感してみようと思ったのではないかと思います。

今の時代に、計算のできない手法で動くというのは、実に効率の悪い話です。でも、敢えて、それをするというのは、効果的移動というより、エキゾチックな遊びだからできること。そこを遊ぶという事になります。曖昧さを遊ぶ。不便を遊ぶ。効率の良い手段がいくらでもある現代で、ヨットを選ぶというのは、計算できないものを遊ぶという事が前提にあると思います。

という事は、セール操作をして、ヨットの動きがどう変化するかを遊ぶわけですから、そこがヨットの面白さであり、醍醐味であるわけですから、上手いとか下手とか無関係に、誰もが、そこを遊んだ方が、最も楽しめるはずではないか?

どんな艤装をしても、セールで遊ぶというのは大事なこと、基本的であり、エキゾチックであり、異なるフィーリングであり、ヨットをやるからには、そこの遊びをもう一度見直されてはどうかと思います。もちろん、そのヨットでできる他のいろんな事もやって良いわけですが、セーリングこそが、ヨットをヨットらしく遊ぶ最大の理由ではないかと思います。何しろ、ヨットはセーリング以外なら、ヨットである必要性は無いからです。

帆走を考えると、より速くという風に考えます。それが最も風を有効利用している状態に近くなるからですが、それだけでは無く、どういう動きをするかという変化を見る事もあります。絶対的スピードのみならず、変化にも面白さがあります。つまり、セーリングして起こるすべての変化が、そのヨットの帆走を遊ぶという事になります。これは、他のどんな物にも無い遊びですから、そこをいかに遊ぶか?そこに意識がある時、セーリングを遊ぶ事ができます。

ところが、いつの間にか、意識は他へ向かいます。キャビンに向い、おしゃべりに向い、彼の地へ向い、いろんな方向へ行きます。それはそれで良いのですが、セーリングという意識が徐々に薄れていきます。そうしますと、セーリング以外に向う意識は、楽しさを求め、そこに面白さがなかなか見つけられなくなる。セーリング以外は、ヨット以外でもできる事であり、してきた事であり、その魅力はヨットが主体である事は無い。よって、エキゾチックでも無い。

エンジンで走るヨットは面白いわけでは無い。意識は行った先にあります。ちょっとした旅をするなら、それでも良いと割り切っても、やはり、ヨットの基本である帆走をいかに遊ぶか、味わうかをおろそかにしない事が大事な事ではないかと思います。

帆走をします。最初は動けば良い程度でも、楽しむ事ができます。しかし、それから先は、もっと学ぶ必要があります。ヨット以外でも、本当に面白さを得るなら、何でも学ぶ必要がありますので、ヨットでも同じ事です。でも、学べば、知りますから、知れば面白さが湧いてくる。面白さとは、ある状態では無く、トップレベルになった時では無く、自分の今から次へステップアップしている変化にあると思います。ですから、初心者から超ベテランまで、帆走を遊ぶ事ができる。問題は意識がそこにあるか否か?

遠くに旅をする方も、宴会する方も、ピクニックする方も、みんなセーリングを遊ぶ、いかに遊ぼうかという意識はキープして頂ければと思うのですが?何トンもある重量を、セールだけで走らせるなんて、考えてみればすごい事でありますね。それを自分で操作するわけですから、そこのああでも無い、こうでも無い、ああして、こうして、これぞ面白さではないかと思います。

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