第六十八話 求めても、求めても

求めればきりがありません。決して終わりがない。だからと言って、いい加減なところで妥協しても面白くありません。可能な限りは求めたくなります。セーリングであっても、クルージングであっても同じだと思います。

何を求めるか? それが各人各様ですから、自分の求めるものをしっかり見ないと、ただ、オーナーであるという事実以外に、何の面白ろさも湧いて来ないかもしれません。ティラーやラットや、そんな事はどうでも良い、バランスやレスポンスなどどうでも良いという事になります。

初心者の方は、そんなの難しくて解らない。と思うかもしれませんが、いつもちゃんと意識して乗り続ければ、誰でもわかってくる事かと思います。但し、鋭いとか鈍いとか言うのは比較の問題ですから、あるひとつのヨットにのみ乗れば、それが基準となり、それが良いかどうかは解りません。

でも、恐らく、ほとんどの方々そうであるように、何十年の間には、最低、一度は買い替えされます。買い替えしないにしても、他のヨットに乗るチャンスはあるでしょう。その時に、違いが解るかどうかは、それまでにちゃんと意識して乗ってきたかどうかになるかと思います。

そして、違いが解るというのも、面白さです。あらためで自分のヨットに惚れなおすかもしれませんし、逆に買い換えたくなるかもしれません。それでも、やはり求めてもきりがありませんが、でも、違いが解るには、それなりの経験が必要でしょうし、その最も近道は、意識して乗る事ではないかと思います。

何を意識するのか? 何度で上れるとか、何ノットのスピードとか、そういう事もあるかもしれませんが、それは数値としてのデータですから、フィーリングとは違います。意識するのは、集中する事だと思います。舵に集中する。船体のヒール、動きに集中する。そうすると、自然にそのフィーリングが目や体を通じて記憶されます。シートを引いた時の力加減、その時の操作のやり易さ、船体の反応等々。いちいち、どれがどの動きと考えなくても、集中さえしていれば、誰でもが感じる変化です。

違いは、ヨット間にあるばかりか、同じヨットでも、その時の自然条件によっても違います。いろんな条件において、いろんな動きがあり、いろんなフィーリングをたくさん味わう事で、ひとつのセーリングという要素が蓄積されます。結局、セーリングというのは、その変化のバリエーションの面白さ。

求めても、求めても、きりは無いんですが、でも、時に、心地よさを味わい、しびれるような快感を味わう事があります。滅多にはない至上の快感。これこそがセーリングの醍醐味ですね。いい気持ちぐらいは時々あります。しかし、競走も無い、どこか遠くに旅するでもない。でも、稀に、しびれるような事があります。

レースもクルージングも、だいたいは自分の外側を気にします。でも、セーリングは自分の内側に面白さを見る。それを味わうと、もっとという気になります。きりはありませんが。でも、ある味わいはそれで完結できると思います。食事をしてうまかったというのと同じだと思います。それで満足です。そして、また次にとなりますが、そのうちうまい物だけを望むのでは無く、今日のセーリングはどんなかな〜と、その日、その日の味わいを持てればいいな〜と思います。

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