第七十三話 求めない乗り方

我々はいつも快走を求めます。良い天気で、寒くもなく、暑くもなく、良い風が吹いて快走する感じを求めます。でも、それはそういう日があまり無い事を意味します。いつもそうなら求めません。無いから求めます。

でも、求めるとそういう日はあまり無いので、風が弱いとエンジンをかけてとかになりがちです。いつも快走なら、快走を求めないし、快走を求めると滅多には無い。これはストレスが生まれます。
求める気持ちが強い程に、ストレスになる。

ならば、求めないセーリングというのはどうでしょうか?ある特定の状況だけを求めるのは、全くあてになりませんから、何も求めなければ、ストレスが生まれようが無い。しかも、微風も軽風も、強風も無風もヨットの一部でありますから、今日はどうかな?という程度なら、どれにぶち当たっても、今日はそんなもん、これもヨットと思えるかもしれません。

という事で、求めない乗り方はストレスフリー?

先日、テレビで、日本は豊かになったのに、何故、幸福感を感じないのか?という事を言っていました。多分、これも、同じような事で、幸福がある特定の状況にあると決めてかかりますから、それはヨットで快走を求めているのと同じではないか?

幸福を求めているという事は、幸福では無いからであり、いつも幸福なら、幸福を求める事も無い。しかし、何千年の歴史の中で、ずっと追いかけてきたものが、今更、手に入るわけが無い。多分、それは考え方が違うのかもしれません。

求めないから、今日はそんなもの、と受け入れる事ができ、受け入れるという事は嫌がらないという事であり、幸福とはそんなもんではないか?ある特定の状況を求めるから、そうでない状況が生まれる。快走を求めるから、無風状態が嫌になる。快走を求めなければ、無風も、そんなものとしてストレスにはならないかもしれません?

問題は、そんな事ができるのか?   解りません。

宝くじを買います。どうせ当たらないだろうと思いながら買います。どうせ、と思っていますから、当たらなくても、たいしたストレスにはなりません。どうしても、何が何でも当ててやると思えば、当たらないと大きなストレスになります。

この宝くじのように、どうせ快走では無かろうと思いながら、乗ります。無風でも当たり前というぐらいの気持ち。もし、万一、快走にであったら、これはとっても嬉しくなりますね。それに、快走に出会う確立は宝くじよりも高い。そこで、また、次に快走を期待しては駄目ですね。

何も求めない乗り方、今日はどんなセーリングをさせてくれるかな? という程度。それをそのまま味わう事ができたら、それこそ幸福感なのではないかな〜と、幸福感とはそんな程度ではないかな〜と思ったりします。幸福感とは、快走にあるのでは無く、何でも受け入れられる寛大な気持ちにあるのかもしれません。

次へ       目次へ