第六十九話 権利と義務

小型船舶の規定によって、乗る側の我々は、検査を受けて、安全備品の所持を義務づけられます。そして、限定沿海だの、沿海だのと走る海域まで規制されます。この規則で国は国民を守ると言います。でも、本当にそうでしょうか?

考えてみますと、法は我々を規制するものなのでしょうか? 本来、法は、国家権力を規制するものであって、国家が暴走しないようにする規則なのではないでしょうか?つまり、この法があるからこそ、国民が国家に国の運営を任せ、国民を守る為に税金を払っているのではないでしょうか?それが、いつの間にか、国家が国民を管理する側に回っているのではないか?

我々が自分の意志でライフジャケットをつけるのは、自分の身を守る為の権利であり、義務では無い。国は何かあったら義務として助けに行く。だからと言って、我々がむちゃをするかと言えば、自分の安全を考えれば、それほど無茶はしないでしょう。国が助けると言っても、限度がありますし、絶対助けられるわけでも無い。無茶をしても良いが、自分を危険にさらす事になります。

そういう観点に立てば、我々は大人として行動する事になります。自己責任です。どうやって身の安全を守るかは、自分で選択する権利を行使する。自分の安全は義務では無く、権利として考えた方が、より安全を考えるのではないかと思います。

そう考えてはじめて我々には自由が拡大されます。沖縄に行こうが、ハワイに行こうが勝手な話です。但し、自分で必要と思う安全備品を、自分で選んで持っていく。そうすれば、どこのメーカーのどれが良いとか、より詳しく知る事になります。あんまり無茶しますと、助けられないかもしれませんよ、という具合。法は、国家にすべき義務を負わせる。国民を守る義務です。国民を規制する権利では無い。本末転倒であります。これじゃあ、昔の武士の時代と変わりゃあしない。

日本は近代国家ですから、これは考え方を改めてはどうかな? 法が国民を規制するもんだから、国民は表向き法を守れば良いという事になりかねない。

ヨットの航海灯は舷灯が正面から120度の角度で見える物とされます。スターンライトは後部から120度の範囲で見える。これにはちゃんとした理由があります。でも、義務なもんですから、あれば良いという程度。設置の仕方が悪くて、正面から見えなくなっているのも良くあります。権利なら、これをそのままほっとくわけにはいきません。

数年前、スターンライトが、その高さより低い位置から見えないという事で不合格になった事がありますが、ヨットのデッキより低い位置から見るのは誰でしょう? お魚さんぐらい。これが権利なら、そんな馬鹿はしません。それに航海灯無しで夜間航行したら、自分が危ない。

法は国家を規制し、国民の権利を保障するもの、但し、他人に迷惑をかけてはいけませんので、法はそこまでを規定すれば良いのではないか? それなら、海外の安全備品を使っても良い。
少しづつ緩和されてはきましたが。でも、義務である事には変わりありません。

近代国家の日本、もう少し国民を大人扱いしても良いのではないでしょうか。そうしたら、国民も勉強しなければなりません。自分の権利行使の為に。ヨットは登録さえしておけば、それで良い。検査不要論です。もし、事故でも起きたら保安庁が駆けつけます。でも、もし、他人に迷惑をかけたら、重罪になります。

義務とするから、何でも値段が高くなります。権利とすれば、選択できますから、きっと安くなる。
造船所で設置された航海灯をわざわざ1個5,000円も6,000円もする日本製に交換しなければならないとしたら、ここに納得できる理由はありません。でも、義務としないと、我々は暴走してしまうんでしょうか?そうでは無いと思いますが。

安全備品は、義務としてでは無く、権利として設置する。そこで、こういう安全備品がありますので、設置をお勧めしますというのが本当ではないでしょうか? でも、免許制度はあった方が良いかなと思います。それもボート用とヨット用は分けた方が良いかもしれません。免許取っただけでは、ヨットを動かせ無いので、いっそのこと、ヨットスクールに免許発行を委ねるようにしたらどうでしょうか?自動車免許のように。まあ、システムを変えるのは大変な事ですが。

国民は税金を払い、権利を持つ。国は税金を得て義務を持つ。これが民主主義の基本的考え方なのではないでしょうか? しかるに、年貢を納めて、お殿様から規制される。 何か変ではないでしょうか? 日本だけではありませんが。 ついこの間、選挙がありました。また、2艇のヨットの検査を受けました。何となく、そん気がふっと出てきた次第です。権利と義務を逆転させたら、何か変わりそうな気がします。 

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