第七十五話 セーリングは面白いのか?

パフォーマンスクルージングという設定をして、セーリングを日常的な使い方にするとしたら、そのセーリングは面白いのか? そう問いたくなります。 レースでも無いのに、だからと言って旅の目的地も無いのに、ただセーリングするだけで面白いのか?

パフォーマンスクルーザーではクルージングとセーリングに分けましたが、さらにそのうちのセーリングを分けてみます。ひとつはセーリングそのものを楽しむ。もうひとつは、誰かを誘ってピクニック的セーリングを楽しむ。その割合はオーナー任せですが、ピクニックは、これもしょっちゅうでは無いでしょうが、楽しそうです。相手次第かもしれませんが。さて、ではセーリングは?

セーリングの面白さは、ありとあらゆる場面での感触を楽しむ事ではないかと思います。レーサーと同じようにスピードを楽しむ時がありますが、スピードのみが面白さでは無いと思います。クローズぎりぎりの妙を楽しむ事もありますし、波や風の変化に対する操作の調整を楽しむ事もありますし、何と言っても、知識を増やして、頭を使って、こういう変化に対してはこうしたら、ああしたらという、いかに調和できるかという楽しみもあります。

何度も乗るうちに自分のヨットとのフィット感と言いますか、一体感みたいな感じも出てくるかもしれません。そのうえで、いろんな変化に対応していくと、また違った感じも得るでしょう。つまり、自然が変化し、自分もまた変化していきますので、集中力さえあれば、常に変化している事に気付く。

さらに、自分の動きも、無駄が無く、滑らかになるでしょうし、そうなればヨットもスムースな動きになるでしょう。つまり、ありとあらゆる場面に面白さを見出す事だって可能だと思います。要は、自分の気持ちが外では無く、そこにあるかどうか次第ではないでしょうか?

グライダーという動力を使わない飛行機がありますが、風を利用して大空を自由に飛び回ります。それと同じで、海を自由自在に走る事ができるようになる。しかも、偶然では無く、意図して、自由にです。それが面白く無いはずは無い。自由自在ですから。

レースでは無いので、戦術を学ぶ事は無いのでしょうが、セーリング理論は知る必要があります。
知識を得、実際のセーリングで試し、同時に自分のヨットの特性も知る。そのうえで、そのヨットの走らせ方を体得していく。素直なヨットもあるでしょうし、じゃじゃ馬的ヨットもあるだろうし、くせを持つヨットもあるでしょう。それらを解ったうえで、自分なりのセーリングを創造していく。いわば、これはある種の作品でもあります。

セーリングそのものは面白いものでも無いし、面白く無いものでも無い。どういう風に付き合うか次第ではないかと思います。

これまで何度も、その瞬間、瞬間での自分の感じたフィーリングを意識するという事を書きました。
走っている最中に何を感じているか? 究極的には、ありとあらゆる場面での自分のフィーリングを楽しんでいるのではないでしょうか?そのフィーリングには、グッドもあればバッドもある。全部をまとめてセーリングですから、そこを楽しむ事。失敗した自分、うまく行った時の自分、退屈を感じた自分、ドキドキした自分、そこに注意を向けておけば、全体を楽しむ事ができるのではないか?

まあ、理屈は抜きにして、気軽にセーリングにでる事でしょうね。何度も。その為にシングルやダブルハンドという最低限の条件にして、できるだけ可能性を高めておきます。後は、ただセーリングを重ねれば、誰もがその面白さに気付いていく。

セーリングは誰もが当たり前のようにセーリングしてきたわけですが、でも、そこに集中した事がどれだけあったでしょうjか? 初心者の頃は面白さがあったはずです。それがいつの間にか、気持ちが外に向かっていきます。同乗したゲストに向かう事もあるし、いつか行ってみたい場所に及ぶかもしれませんし、今度のレースの事を考えるかもしれません。でも、それら一切をやめて、今、そこのセーリングに集中してみる。当たり前のようなセーリングに、きっと面白さが見いだせると思います。当たり前の事を当たり前にやって、面白い。基本中の基本から究極までがそこにある。
ですからセーリングに始まって、セーリングに終わる。

覚えたての頃は、だれもが一生懸命セーリングを覚えようとします。慣れたら、違う所に行ってしまいます。でも、最後はやっぱりセーリングの面白さに戻ってくる。灯台下暗しと言いますが、目の前の海域で、すぐに遊べる最も良い方法がセーリングだと思います。

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