第四十二話 固定化

我々は知らず知らずのうちに、自分が持つイメージを固定化しやすいのではないかと思います。良いイメージをもった時、それだけが良いと誤解し易い。それをもう一度とそれだけを追いやすいという事になるのかもしれません。

セーリングして、非常に良い気持ちを得た時、再びそれをと思います。しかしながらというか、残念ながらというか、同じ状況に出会う事は皆無と言って良いかと思います。似たものはあっても、同じでは有り得ない。仮に全く同じ状況に遭遇したとしても、二度目は最初の時と同じ感覚にもなりません。良いか悪いかは別にして、違うフィーリングを得る事になります。

また、友人を呼んで、宴会して、とっても楽しかったからと言って、また同じ状況を演出したとしても、全く同じ楽しさを得る事はできない。いつも違う、全然違うかもしれないし、似ていて微妙に違うかもしれない。兎に角違うという事です。

それで、あの時楽しかった記憶を再現しようとは思わずに、或いは、同じような状況を作っても、同じを期待せずに、今度はどうかな?どうなるのかな?という具合が良いのではないか?つまり、新しい何かを発見できるかな?という事になります。

楽しさを追求するというのは、個人の夢としても、良しとされます。でも、その楽しさを求めつつも、どんな具合になるのかなという50%/50%ぐらいの気持ちの方が、面白さを体験できるのではないか?思い通りになってほしい、でも意外性もある方が面白い。

意外性100%になりますと、不安であったりもします。でも、100%思い通りになると、これもまたつまらなくなる。ですから、期待50%、意外度50%が理想的かもしれません。それを演出するのが、何かに挑戦する事かもしれません。たいそうな事では無く、ちょっとした事、ちょっとした工夫、ちょっとした何か?それで、ちょっとした発見があり、ちょっとしたレベルアップがあり、ちょっとした何かを得る。

これは一種の諦めです。でも、100%諦めたらする必要が無くなり、面白くなくなりますから、50%諦める。この諦めるは捨てる事では無く、どうなるうのかな?という解らない状態です。今できる事をして、50%ぐらいは、快走とか、気持ち良さとか、そういう事を期待していろんな事をやりますが、でも、残り50%は以外な事を発見するかもしれない、この先のストーリーはどういう展開になるのか解らない。そういう楽しみ方です。だから、思い通りにならなくても構わない。そのままを受け入れるという姿勢です。

ですから、強風になったり、無風になったり、途中から吹いてきたり、いろいろある現象を、自分の持てる技術で対応しながら50%の期待をしながら、それでも残り50%を受け入れる。そういう面では、初心者の頃はこのパーセンテージが低いでしょうから、諦めの割合が70%とか80%とかになるかもしれない。それだと不安の方が大きすぎるので、乗れる状況は少なくなる。穏やかな時しか出せなくなるかもしれません。でも技術を上げれば、その幅は広くなり、50%に達して、いろんな状況でも出せるようになる。それが80%や90%になっていくと面白さが薄くなるので、そこに何らかの冒険的なものが必要かもしれません。しかし、どういあがいても100%には成り得ないので、永遠に遊べる事になります。

これらは当たり前のようにみんながやっている事なんでしょうが、これらをあらためて意識してみるという事は、これからのセーリングライフ、ヨットライフ、クルージングライフを演出していくのに、何らかの効果が出せるのではないかと思うのですが。

我々は無意識に、ある一定のイメージを持ち、固定化させて、写真のような絵を描く。それこそが面白さなんだと思いがちではないでしょうか?でも、その固定化されたイメージは、無いかもしれない。あっても一瞬かもしれない。そのイメージは写真では無く、その前後のビデオみたいに流れます。固定化せずに、流れるように、いろんな事に遭遇していくのが現実ですから、こちらも、流れ流れて変化するという変化を、半分は諦めの境地で味わっていくという事を敢えて意識してみてはどうでしょうか、と思います。本当は、固定化されたイメージは面白さでも無く、変化こそが面白さの本質ではないかとも思います。

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