第七十話 相棒

あるオーナーが、ヨットは道具だけれど、私のヨットは相棒です。と言われていました。成程、そうですね。自分のヨットを相棒と呼べるところに大きな意味があると思いました。毎週末のセーリングをいつも心待ちにされています。良いヨットで、その性能を楽しみ、そして自分の腕も楽しむ。まさしく相棒の如く、ヨットはオーナーを支えます。

シングルハンドとは言っても、自分で泳ぐわけではありませんから、ヨットという相棒いかんによっては、そのセーリングの質と言いますか、自分の味わいが異なる事になります。気に入ったヨットに出会うというのは、簡単では無いかもしれませんが、いつも、ペットの如く可愛がって、相棒の如く共にする事に気をつけていれば、いつかは相棒に出会えるかもしれません。

相棒はオーナーを支え、オーナーは相棒を支える。つまりは、メインテナンスをちゃんとする。そうしないと相棒はそっぽ向きますね。お互い様です。相棒を大事にしてやらないと、相手も応えてくれません。相棒を見つけるにはそういうところから始まるのかもしれません。相手にだけ応えさせようというのは我侭であります。ヨットは相棒、シングルハンドであっても、そうなんでしょうね。

波も風も変わりますが、相棒は変わらない。否、ほっとけば、どんどんすねていきますから、可愛がって良い状態をキープする。変化する波と風、それに対する自分との間を取り持ってくれるのがヨット、相棒ですから、その相棒が、自分の味方になってくれるかどうかは、非常に大きいです。

ヨットの性能というのは、感覚を持つ人が乗って、常に変化する波と風を、そのヨットがどのようにオーナーに伝えるかとう事です。あるヨットは振動を伝えたり、不安定感を与えたり、或いは、どっしりとした感じだったり、滑らかだったり、それらが良いか悪いかでは無く、それがそのヨットの性能だという事でしょう。そして、さらに、オーナーの乗り方によっても、もたらされる感じは異なりますし、人によっても感じ方は異なる。

道具としてだけ見ると、全ては道具のせいのような気もしますが、相棒だと見ると、また違った見方にもなります。名前も自分で考えてつけるのですから、まさしく相棒で無くて何でしょうか?自分にも良く、相棒にも良く、一緒に楽しむ感じでしょうか?

また、そのオーナーはこうも言っておられました。いつかは、乗れなくなる日も来るでしょうが、でも、思い出だけは誰も奪えない。

良い相棒に巡り会えるのは大事な事ですが、もっと大事な事は、共にどんな経験をして、より多くの味わいを得てきたかという事でしょうね。それを思う時、やっぱり相棒の支えなくしてはできなかったという事になります。

人間、ひとりでは生きられないという言われますが、仮にひとりだとしても、海や風という道具、ヨットという相棒無しでは、何もできない、何も経験できない、空想しか無い。それらの道具に恩恵を受けながら、数々の経験をする。経験こそが生きているという事でしょうね。その経験が良いか悪いかは、またその次の話。経験できるという事が第一なのかもしれません。

誰もが、何度も乗り換えるという事はできませんが、いつか良き相棒に出会える事を願っています。或いは、既にもう出会っているかもしれませんね。そういう目で見てみたら。自分の見方が変われば、また変わる。

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