第八十三話 方角

デイセーリングでは決まった目的地がありません。目的地があるなら、そこを起点にどういうアプローチをしたら良いのかと考える事ができますが、それが無いなら、どっちに走っても構わないという事になります。

ですから、デイセーリングでも、その日によって、ある地点を想定して、セーリングをするという事も考えた方が良いかもしれません。或いは、近くに島でもあれば島回りとか。右回り、左回り、いろいろな工夫はあった方が良い。

もうひとつの方法は風を起点にするという事です。上りを遊ぶとするなら、風の方向に合わせてつめていく。ギリギリまつめたり、わずか落としたり。風向が変われば、それにも追随していきます。
タックしても同じように。タックの仕方、タック後の立ち上がり、そういう事も遊べます。タックする角度も解りますね。これは下りでも同じで、メインとジブだろうが、ジェネカーだろうが、風向に対する角度を維持する。

意識は常に、風向の変化に対してあり、常にそれに追随するように走るので、集中していなければならない。集中できるターゲットがあるという事が面白さそのものかと思います。

風は風向だけでは無く、実際には風速も変わる。すると、その風の強弱に対しても対応しなければなりません。だから難しくなります。風が弱くなって、走る角度を落としても、それはそれでまたその角度を意識して走る。波にぶつかって艇速を落としても、一旦角度を落として、また上げる。

また、上りと下り以外では、舵は一定にして、走る方角を変えない。その代わり、風向と風速が変わりますから、それに合わせて、セールの角度を変える、形状を変える。

つまり、どっちの走りをしているかをきちんと意識しておく事で、操作に目標ができます。ただ、漫然と走っているわけではありませんから、目標があれば、調整の意識が生まれ、そこに変化を楽しむ手段が生まれる。これは面白さを創造する手段になるのではないでしょうか?

それに、調整とひとことで言えば簡単ですが、実際はその調整がいろいろあるわけで、これでOKと思っても、すぐに風が変わったりしますから、退屈なんかはしておられません。常に見張っていないとすぐにその調整は崩れてしまう。それがまた面白いところ。

こんな集中したセーリングがあるかと思えば、仲間や家族を載せて、ゆったりしたピクニックセーリングもあります。でも、これを楽しむ為にも、普段の集中セーリングがものを言うし、ピクニックセーリングがあるから、集中セーリングもある。もちつもたれつの関係ですから、両方をする事になります。そして、大事な事は、それを意識しておく事ではないかと思います。意識的に使い分ける。

意識して上る。意識して下る。意識して方角を決める。意識して調整し、意識してのんびりする。意識してゲストを楽しませる。ごちゃ混ぜにしない事ではないでしょうか?

こう思うと、デイセーリングも大いに面白さが増すのではないでしょうか?意識しますと、いろんな経験がクリアーに積み重なって、次のセーリングに活かされていくのではないでしょうか?調整はいろいろあり、完璧な調整を取得する事は不可能です。絶対は世の中には有り得ない。でも、ベターはあるでしょうから、そのベターがもたらすであろう、未知の世界を、少しづつ解っていくという発見こそが、面白さの源泉ではないかと思います。その発見が良いものであれ、悪いものであれ、発見が無くなる事こそが退屈さの源泉ではないかと思います。

ですから、意識して角度を決めるという事は、意識して面白さを求めているという事に繋がるのかなと思います。漫然と走ると、面白さも漫然としたものになるのではないでしょうか?意識して漫然と走る。ピクニックセーリングでは、そういう事もあるでしょう。その時の意識は、ゲストにあります。
ゲストに楽しんでもらいたい。常に、どこかを意識をする事なのでしょうね?

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