第四十二話 遊びの概念
昔は、何も無い時代ですから、遊びを自分で作ったものです。自らが工夫して、いろんな事を考え、いろんな遊びものを作り出して来ました。しかし、発展するにつれ、いろんな物が揃い、遊びというと、お金を出して接待されるような、自分は何もせずに、王様のような感じです。 例えば、どこかに行けば、その行った先で、お金さえ払えば、全てを整えてくれます。うまい食事、快適な部屋、温泉もあります。どこ行こうが、お金さえ出せば接待してくれます。これが遊びです。 スポーツをするにしても、きちんとした場所があって、自分はプレーするだけですね。それが整っているのが当然のような気がします。最小限の動きで、最大限の快楽を得ようとするのが遊びです。それに慣れてしまった。 ところが、ヨットはどうなんでしょうか? 泊まるにしても、自分で食事を準備する必要があります。それに自宅と比べて快適ではありません。狭いし、暑いし、或は寒いし、エアコンがあっても、自宅やホテル程快適ではありません。揺れるし。食後は自分で片付けます。誰かにお金を払ってもてなされる遊びに慣れてしまったのかもしれません。それに比べたら面倒くさいし、快適ではありません。 遊びの概念が、発展してきた今日において、自分が動くのは最低限にして、それで尚且つ快適で楽しいものでなければならない。しかしながら、仕事であるなら、誰もが一生懸命で、努力もするし、頭も使います。ですが、遊びになった途端に、何にも自分ではしたくなくなる。お膳立てがされていなければならないと期待する。そういう考え方に知らぬ間に陥ってきたのかもしれません。 ヨットで遊ぶというのは、自分が主体となって、自分が動いて、そして自分を楽しませなければなりません。ヨットはある。海もある。それだけでは駄目で、物があるだけで、後は、全部自分が主体的に動く必要がある。クルージングというイメージを描き、自分が旅をしている姿をイメージしてきた。しかし、そのシーンに至るには、いろんな事をしなければなりません。それが誤算であったかもしれません。自分でルートを調べ、自分で天候を調べ、ヨットの状態も自分でチェックして、それで計画して実行する。全部自分の責任で行います。それは簡単な事では無いと感じます。接待される遊びに慣れてしまえば当然そうなります。 さらに、ちょっと出すだけでも、それは旅であると言えるかもしれませんが、本当は、たっぷり時間をかけて、ゆったり旅をした方が良いわけで、それには、そうそうしょっちゅう行けるものではありません。という事は、本当に旅を楽しむ為には、自分で何でもする事を積極的に面白いものと感じる必要があります。嫌だ面倒だと思う限り、旅を楽しむ事はできないと思います。 そこで、もっと簡単に出来ることを主体にする事を薦めています。それがデイセーリングであります。これも自分でやる事を楽しく思う必要がありますから、接待される遊びではありません。しかし、どこかに旅をするに比べたら、簡単な事です。ピクニック程度なら、もっと簡単です。 そして、ピクニックのうえに、ちょっとセーリング操作を加える。するとセーリング遊びができる。操作する事に面白さを得る事が重要で、それなしに、ヨットを楽しむ事はできないだろうと思います。ですから、操作をできるだけ簡単にしようとします。それがも一理有りなのですが、でもやりすぎると、今度は面白さを失いかねませんので、その辺のバランスは考えなければなりません。 ヨットは接待されて遊ぶのでは無く、自分で自分を接待するつもりで、積極的に自分が動いて遊ぶ遊び方であります。その自分が動くという事も楽しさとして捉えられないと遊べないし、つまり、接待する自分が楽しくて、接待される自分も楽しい。そういう事になろうかと思いますね。 ところが、その前者である接待する自分が無いと、接待される自分も無いという事になりますし、接待する自分が楽しくなかったら、接待される自分も楽しくないという事になります。つまり、終始、自分次第なのでありますね。だれも接待してくれませんから、そこに慣れる必要がある。我々は、昔は、自分で遊びを造って遊んでいたわけですから、今から思うとその方が面白かったのではないかと思います。だから、遊びの概念をもう一度見直した方が良いのではないでしょうか。 デイセーリングも、自分で全てを行う遊びです。何ら、特別ではありませんが、でも、旅に比べたら気軽にできるし、どんどん慣れていけば、旅する事もできるようになります。何だってできる。ヨット遊びの基礎を身につける事ができる。そして、その基礎においても、深く面白いいものである事も発見できると思います。だから、何も遠くにいかなくても良いとも考えられます。だからこそ、気軽に旅に行けるという事にもなると思います。 接待されるのは楽しい。でも、面白さという点ではどうでしょうか?ヨットをやるというのは、楽しさだけでは無く、面白さを得たい。そう思いますし、そういうものでは無いでしょうか? 接待する自分は積極的にうごいて、頭使って操作します。それは上手くなるという事の面白さを得ますし、接待される自分は、変化を楽しむ事ができます。自分の感覚を遊ぶ事ができます。 |