第九十話 日本人的居心地の良さ

西欧人は社交的。多分、いろんな人種が居て、文化的背景が違いますので、言葉としてのコミュニケーションが重要な事になるのかもしれません。ですから、パーティー上手であります。そこいきますと、日本人は阿吽の呼吸。言わずとも、察してくれる。

そういう文化的背景が異なるのと、自由主義、自由競争、個人主義というのもあります。日本人も昔とは違って、そういう考え方が浸透してきていますが、まだまだ我々のDNAには、そういう昔ながらの意識が残っています。和をもって尊しとなす的な発想が残っています。

西欧人と日本人は、その表面的な暮らしは似てきましたが、その根底には、まだまだ異なる発想があります。という事は、我々の理屈抜きの居心地の良さは、やっぱり西欧人とは違います。ですから、それに基ずいたスタイルというのがあります。

ヨットは西欧文化です。ですから、それをそのまま受け入れていたのでは居心地が悪い。ですから、自分なりの居心地の良いスタイルが必要です。それは何か? 各個人ではもちろん違いますが、全体的に、日本人としての居心地の良さとは何か?

昔から、日本にはなになに道というのがあります。柔道、剣道、茶道、華道等々。そのものを追求して、そこから道を見出す。そこまで大袈裟では無いにしろ、追求して極めていく。単なるスポーツや文化と片付けられません。しかし、日本人には、何かを求め、極めていこうという欲求を持つDNAがあるのではなかろうか? それを西欧は日本人の勤勉さと言うかもしれません。でも、それが無理にしているのでは無く、性分なのであります。ひょっとしたら、そこに居心地の良さがあるのではなかろうか?

そこで、日本人スタイルとして、ヨット道、セーリング道、クルージング道、というような、大袈裟ではありますが、それを求め、極めていく姿勢も、どこかに持っておいた方が、日本人には良いのかもしれません。例え、船上で酔っ払って遊んでいても、宴会三昧していても、それだけではどうも居心地は良くないのではなかろうか?満足感が得られないのではなかろうか?

どこかに何かを求める姿勢があって、実際に、進化している姿があってこそ、居心地が良く感じ、そのうえで、たまにのんびり宴会も楽しむ。でも、表面的快楽だけよりも、底流には、なになに道に通じるような意識があった方が、日本人にとっては居心地が良いのではなかろうか? 

それが例え、ちょっとでも良い。10回乗ったら、1回でも2回でも良い。セーリングを極めようと真剣に乗る事があるなら、その真剣さが底流にあって、意識されていれば、それだけでも、居心地は随分良くなるような気がします。極めようという言葉は大袈裟ですが、もっと知りたい、上手くなりたいという意識です。

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