第二十二話 日本再考

欧米人が、プールサイドに座って、一日中読書をしている。泳ぎもしない。そんな光景を見て、日本人としては驚きます。しかし、日本人は同じ事はできません。それが我々であります。

欧米のマリーナに行きますと、一日中、コクピットに座っておしゃべりしている人達が居ます。ヨットを出す気配も無い。しかも、そんな人達がたくさん居ます。夜は食事を作って、またコクピットで食べて、おしゃべりを楽しむ。しかも、それは今日だけの話では無く、しょっちゅう、そういう事を繰り返しています。時には出す事もあるでしょう。海水浴もするでしょう。でも、基本的に、彼らのヨットは別荘、動く別荘のような気がします。もちろん、全員ではありませんが、そういう人達が非常に多い。

これは明らかに日本スタイルではありません。日本人の価値観にはそぐわない。1日ぐらいなら、ほんのたまにならあるでしょうが、それが基本とは成りえない。しかしながら、それに近い事を基本にしてしまうから、マリーナに来なくなる。そういうスタイルでは、日本人は楽しめないから。

じゃあ、どうすれば良いのか? 日本の食事は、少しづつ、いろんな味を味わう事ができます。少ない種類を大量にでは無く、ひとつひとつは少量ですが、多種類であります。料理の仕方もいろいろあります。それと同じで、いろんな事を少しづつ、数多く、味わうのが良いのではないかと思っています。しかも、質を考慮して。

今日は、のんびりピクニック、今日はゲストを招待、今日は真剣セーリング、今日はレース、今日は、コクピットで一杯、今日はメインテナンス、今日は昼寝、今日は読書、今日はクルージングに出る等々であります。いろんなバリエーションを持つ。もちろん、その中でこれはというモノがあれば、そこの割合を増やして行きます。まあ、それはセーリングの探求が良いのではと、これまで言ってきました。

日本人のスタイルは日本人が創りださねばなりません。いつまでも欧米スタイルに従っていても、根本的価値観や環境が違いますから、我々は我々の特性を活かして、我々のスタイルを創って、我々が楽しめる方向に進まなければなりません。日本のマリーナは高いとか、設備が十分整っていないという現実もありますし、それらは欧米とは比較にならないかもしれません。しかし、その中から、我々のスタイルを創造して、充実させて行く事が重要ではないかと思います。

それで、いつも繰り返し言いますが、セーリングの探求を核とするという事です。我々日本人はセーリングを愛し、セーリングを楽しむスタイルを軸としています。我々のスタイルはこれです。と、宣言するのはどうでしょうか?

すると、ヨットを見るに、軸ができます。すると、ヨットに対する見方が変わります。我々のスタイルをより良く実現してくれるのはどれか? そのヨットはどんなセーリングをもたらしてくれるか?
もちろん、速いだけが選択の理由ではありません。それぞれのセーリング感があります。そこを中心に考える事になります。これ、日本スタイルになりませんでしょうか?日本人は昔から、勤勉で、探究心が強いというDNAを持っています。だからこそ、セーリングの探求というのは、日本スタイルの基本になるのではないかと思うのですが?

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