第三十九話 無題

お察しの事とは存じますが、ここに書く内容のネタ不足でいつも困っています。そこで、何とかひねり出しても、以前にも同じ事を書いていたりは、しょっちゅうです。困ったもんです。同じ内容でも、切り口が違うとか、何とかできないかといつもネタ探しです。

でも、基本的にあるのは、セーリングを堪能していただきたいという事です。多くの方々が自分のスタイルで、思う存分楽しんで頂ければ、それで、日本のヨット文化は、流れるように流れていき、成熟していくと思いますから、それで良いかと思っています。ただ、乗らない文化で成熟しちゃいますと、これはどうもいけません。

そこで、大胆に、かなりの偏向を持って言いますと、デイセーリングが主体になら無ければ、日本にはヨット文化は根付かないのではないかと言う事です。

キャビンが主体にはなり得ない。ファミリークルージングが主体にはなり得ない。沿岸クルージングとて主体にはなり得ない。レースも主体にはなり得ない。ピクニックが主体にはなり得ない。私から見ますと、これらは、楽しむ事はあっても、主体的には機能し得ないと思っています。

これら全てを牽引するパワーを持つのは、デイセーリングにあると思っています。その中でも、真剣セーリングです。これを主体に持つ事によってのみ、他の可能性も増えてくると思っています。
真剣セーリングを堪能するからこそ、ピクニックもファミリーもクルージングもレースも生きてくる。
真剣セーリング無しでは、他の事をするにしても、いまいち充実感に欠けるのではないか、しかも、10年や20年という長いスパンにおいてやです。

この真剣デイセーリングを越えていきますと、レース一辺倒に向かう人も居るでしょうし、外洋クルージング一辺倒に向かう人達も居るでしょうが、その前には全ての方々に真剣デイセーリングを堪能していただきたいと思っています。そして、永遠にそのセーリングを求めても良いし、その価値は十二分にあると思います。

ヨットには各艇における性能というものがあり、それぞれ違いますが、それは兎も角、今あるヨットを駆使して、それがどんなヨットであるかは別にしても、真剣セーリングを取り入れていただきたいと思います。毎回で無くとも、2回に1回でも、3回に1回でも、月に1回でもです。

その時は、集中力を高めて、頭使って、感知力を研ぎ澄ませて、そういうセーリングがあっても良いんじゃないでしょうか?それがあるからこそ、より多く知る事ができるし、セーリングの妙が解るし、繊細から大胆までが解るかと思います。兎に角、進化を育てる事ができます。そして、そこから得られるあらゆる感情、知識、技術等々が、別の機会にも大きく影響すると思います。

真剣セーリングと言っても、集中して、自分で試行錯誤を楽しめば、それで良いんじゃないかと思います。誰よりも速くというより、どれだけ馴染んで、自由自在感を遊べるかが重要だと思います。

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