第四十六話 ヨット楽とヨット学

ヨットは遊びという捉え方をするのが常識でしょうし、少なくとも仕事ではありません。しかし、もっと良く考えてみますと、ちょっと別な捉え方でもできます。

既に知っていて、その事を行うに十分な技能がある時、我々はそれを楽しむ事ができます。逆に、知らない時、知っていても不十分な時、或は、十分知っていても、それを遂行するに十分な技能を持たない時、それは学ぶ事になると思います。

ヨットは遊びであると思ってきましたが、でも、随分知らない事も多いし、決して、技能も十分というわけにはいかないと思います。それを遊びと捉える処にちょっと勘違いがある。遊びは楽しいものであります。なのに、そうでも無い事が結構多いのが事実です。

しかし、少しの知識と技能があれば、ピクニックセーリングを楽しむ事ができます。これは知って、技能もあるから楽しいとも言えます。ヨット楽です。でも、風の変化が、我々をそこにとどまらせてくれない事が多い。ピクニックしているのに、勝手に風が強くなっていったりします。すると、技能が十分では無い時、結構苦労します。もはや遊んではいませんし、楽しいわけでもありません。

しかし、十分な知識とその技能がある方は、余裕で対応する事ができます。その方にとっては、やっぱり遊びであります。楽しむ事ができます。

楽しむとか、遊ぶとか言う場合、我々自身が、知識的にも技能的にも、また気持ち的にも上のレベルに居る事が必要ではないかと思います。そして、自分よりさらに上を目指す時、それが一般に言う処の遊びであっても、実際は学びとなるはずです。それを遊びと捉えたままでは、こんなはずではと思うかもしれません。ですから、学びは学びとして捉えて、対応する方が良いのではないかと思います。

学んで上達して、そのレベルを楽しみ、遊ぶ。そして、また学んで〜。

学びと思うから、多少の緊張感や何かがあっても当たり前であります。また、学んで、なる程とか、知識が増えると、嬉しさもあり、できない事ができるよになると、面白さもあります。、世の中楽しい事ばかりでは、長く続かないものです。もし続くと飽きてきます。ですから、また何らかの刺激を求めます。すると、それは、やっぱり学びになるのではないでしょうか?

ヨットは楽と学の両方あって、それを意識して使い分けてこそ、ヨットを自分のものにできるのかもしれません。そして、面白さとは、その両方がある事ではないかと思います。時に、のんびり、爽やかに流すセーリングもあります。ヨット楽の方です。また、時に、いろんな試行錯誤をしながら、集中して走る事があります。ヨット学です。両方あるからこそ、長く続ける事ができるのではないでしょうか?

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