第五十話 発展

経済は発展し続けなければなりません。発展が止まる事は衰退を意味し、元気を失う事になります。これで良いや、このまま続けばこれで良いという方もおられるかもしれません。しかし、現状維持するにも、発展しなければなりません。何故なら、全ては古くなっていくからです。そのままの維持でさえ発展無しではありえない事になります。そして、全て、裏で糸を引いているのは時間です。時間が全てを古いものとしていきます。

つまり、我々は時間が流れる限り、発展しなければ、元気を失うという事であります。或は、昔の生活スタイルを受け入れるかです。これはできません。昔は良かったなんて言う方もおられますが、本気で昔の生活に戻りたいという事では無いと思います。

経済は仕事でありますから、誰もが仕事に関しては発展という事を考えます。では、遊びはどうなんでしょう?これも同じでは無いでしょうか? 暇つぶし的な遊びは別でしょうが、ある特定の遊び、意識して選択された遊び、ヨットがそれに当たりますが、これなども発展無くしては、元気が出ないのではないでしょうか?

発展の無いセーリングは、その日任せになります。風が都合良く吹いてくれるのであれば、楽しい1日を過ごせます。でも、弱すぎたり、強すぎたり、雨が降ったり、波が高かったり、いろいろあるわけですが、それは運任せのセーリングになります。運任せのセーリングで、楽しかったと言える日にちは年に何回あるでしょうか?

これはクルージングも同じで、毎回、同じ場所に行くとしたら、何回行けば飽きてくるでしょうか?
つまり、セーリングもクルージングも、発展しなければ、元気が無くなるという事になると思います。
現状維持さえもできない。

それで、経済の発展は生産性と需要を高める事。もちろん、バランスというのがあります。そして、遊びにおいても生産性と需要を高める事が必要になります。遊びにおいて生産性という言葉は嫌な感じがしますが、意味としては同じです。

遊びの生産性と需要とは何か? 簡単に言えば、上手くなりたいと思って、いろいろ学んで、実際にうまくなっていくことではないかと思います。供給はハードの開発もありますが、これは個人の範疇ではありません。

経済にしても、遊びにしても、需要が先行する事、供給側はそれに見合う生産性を高めていく事。そういう事になろうかと思います。常に、需要が若干のリードを保つ事。これこそが発展の原動力ではなかろうか?

あまりにも、需要が大きすぎると、あまりに供給側が低いので、経済ならインフレになりますし、遊びなら、その格差に諦めるかもしれません。それが、いつかの夢なら良いのですが、その場合は需要は現実的に今の需要になりますから、問題は無い。

という事は、若干のインフレが良いのではなかろうか?経済も遊びも。それが我々が元気になる処のバランスではなかろうか?今の需要を少し高め、その希望に対して供給側が開発したりして追いつく。或は、個人のセーリングで言えば、自分の希望に対して、自分の上達が供給になったり、ハード的には、工夫したり。何をするにも、発展したいという希望があって、それに追いつき、また発展という具合に繰り返される。それが健全な発展の仕方ではないかと思います。発展しなくて良いと思った瞬間、発展は無くなるどころか、衰退の一途になるのではないでしょうか。だから、経済も遊びも、デフレはいけません。発展こそが、元気の素、面白さではないでしょうか?

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