第16話 意識と感覚

意識は感覚を操作します。外から吸収した知識は自分自身を統制して、それが全てである
かのようにコントロールする。意識はこのように感じなければならないと命令するようになる。
通常、感覚が異なる感じをもてば、それはいけない事としてコントロールしようと務める。

普段、頭で考えている事が自分自身であると思っている。でも、考えている事は案外、本当
の自分では無いのではないでしょうか。他人の影響、外部の情報、常識、外部の影響がほ
とんどで、本当の自分から出た思考はどれだけあるのか、疑問です。

人間の脳は思考という部分が発達して、何かを作り出したり、考えたりします。これが文明
の発展に寄与してきた事は明らかです。しかしながら、思考があまりにも重要視される今日
感覚が疎んじられてきた。頭の良い事、回転の速い事は良い事とされ、良い学校、良い成績
良い会社、それが良いという常識が定着してきた。頭は確かに悪いより良い方が良い。でも、
そういう学歴社会が崩れようとしています。確かに、生活は楽になってきた。物理的にはそう
です。ですが、便利になればなる程、楽なはずですが、忙しくなり、いつでも余裕なんてものは
無い。これが頭で作った社会です。これはこれで良い。全ては進化するものだと思います。
でも、我々が持つ物は意識だけでは無く、感覚というものもある。この意識、思考と言っても良い
のですが、これは尊重され、重要視されてきた一方、感覚というものがあまりにも疎んじられて
きたのはどうでしょうか。

思考は大事なものです。ただ、その使い方に注意を払わなければならないのではないでしょうか。
思考が全てでは無い。思考は外部から知識を仕入れ、それを分析して、判断します。客観的に
データを処理する機能は抜群です。それをそこまでに止めておいて、外部の事としてとっておけば
良い。感覚は別物です。自分で感じる感覚は自分自身であり、これを大切に尊重する。思考に感情
をコントロー^ルさせないようにする。思考は必要な時だけに使う、こういうやり方というのができない
かなと思います。

もし、これができるなら、自分が思考そのものでは無いという事が解る。思考は自分の感覚を尊重
し、思考は使うものであり、使われるものでは無いことになる。思考が優先すると、一見、頭の良い
切れ者で世間は通るかもしれないが、決して、思考は自分を満足させることは無い。

セーリングして、とても良い気分になっている時、思考はこんな事してて良いのか?あの件はどうな
っているのか?彼女を誘ったけど断られたのは何故か?いつかは向こうの島に行きたい。何と、
あらゆる思考が巡り、本当は今楽しいはずなのに、ちっとも楽しんでいない事になる。こんな事を
しょっちゅうやっているのです。これでは、何をしようが、本当に楽しめる事は無い。頭は必要な時
以外は使わない方が良いように思えてきます。心の時代はこうやって、やってくる。

ヨットを選ぶ場合は頭を使う。予算を考え,乗り方を考え、ヨットの性能を分析し、選ぶ。ヨットに乗る時
は頭を使って、セールをコントロールし、出したり引いたり、舵を動かす。そして、行きつく先は感覚が
決める。ヨットに慣れればなれる程、頭を使わなくてもコントロールが自然にできてくる。そうなると
感覚の締める割合が大きくなる。より多く感じる事ができる。最後は楽しんだかどうかです。頭を使
わなくて良くなればなる程、楽しむ事ができる。何をしようが、頭を使っているうちは本当に満足する
事は無いのではないかと思うのです。ですから、どんなヨットを持つより、どういう態度で乗るかの方
が重要ではないかと思うのです。

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