第83話 割りきり方

昔、海外旅行に行くというと、短期間のうちにヨーロッパ各国をぐるぐる回り、できるだけ多くという
旅行が多かった。そして疲れ切って帰ってきたものです。それがやがては、訪問個所を少なくし
て、各個所をゆっくり堪能しようという風になってきた。或いは、1箇所に絞って、そこでしかできな
い事、本場の何か、という風に変化してきています。それは、一点に絞った方が、じっくり、深く、
楽しめるからでしょう。ぐるぐる回って、その都度みやげ物を買ってでは、一体、どこがどうだったか
さえ覚えていない。これでは何の為の旅行だったのか、ただ、行ったという事実だけが残る旅でし
た。でも、それが、あまり意味を持たない事がわかってきたのでしょう。一度に多くを求めると、それ
ぞれがぼやけてしまうのです。

ヨットも同じ事が言えないでしょうか。デイセーリングからロングクルージングまで、帆走も楽しみた
いし、キャビンの快適さもほしい、便利な装備もほしいし、楽な操船をしたい。簡単に動かせれば
良いし、大人数も載せたい。日常は日帰りだが、いつかは外洋にも行きたい。冷蔵庫、電子レンジ
発電機にエアコン、バッテリーチャージャーにインバーター、風向風速、スピード、デプス、レーダー
GPS、魚探、オートパイロット、テレビにCDステレオ、DVD、多くの装備がつきます。さらに、ジブ
ファーラーにメインファーラー、チークデッキも美しい。天井は高く、広々として、快適そのもの、セー
リングだって楽しめるし、泊まってOK,宴会もOK、カラオケだって積み込むか。そうそう、エンジン
は大き目にして、温水シャワーをコクピットにもつけたい。ドジャーにビミニトップでコクピットを囲い
これなら暑さもしのげて、スプレーよけにもなって、それじゃ、電動ウィンチつけて、楽して、そうね、
後は何が要るだろうか?

ちょっと大袈裟かもしれませんが、だいたいこんなもんでしょう。それで、果たして快適なマリンライフ
を堪能できるのでしょうか。こうなってくると、各備品のメインテナンスが必要ですから。オフシーズン
ともなると、相当な整備をしなければなりません。大きな船体は、ちょっとデイセーリングに行くには
ちょっと気持ちが負けてくる。動かせれば良い程度では気軽に出せません。楽に出せる気持ちが
無いといけません。重くなるだけ走らない、おまけにファーラーだからもっと走れない。古い伸びきった
セールだから、ヒールばかりして走らない。重心が高くなって、速めにリーフしなければならない。
電気製品が多いから、エンジンは動かしたままにしないと、バッテリーが心配になる。まして、冷蔵庫
もあるし。

自然は人間が造ったものではありません。自然の中で生まれた人間は、より快適な生活をする為に
社会というシステムを造った。それが進化し、今日では高度な社会システムが機能しています。電車
は疑う事も無く、時間通りに来るし、当たり前のように快適な生活がおくれるようになりました。社会
は人間が造ったものですから、みんなで協同して、システムを作り、お互いが約束事を持って、協力
するわけです。ですから、学校もいつものように、そこにあるし、会社も仕事もいつもと同じ、相手も
約束事通りに動いてくれる。これが当りまえで、約束事が狂うとかなりのストレスとなる。ところが、
自然は人間の意思には関係無く、人間が生まれる前から、そこにあった。ですから、人間の意思で
造ったものでは無いので、人間の約束事は通用しない。そこに、人間のシステムを持ちこみ、同じ
快適さを目指せば、ストレスの方が多くなる。何故なら、約束事は無いからです。急に波が高くなった
り、風が無くなったり、強くなったり、雨は降るし、やたらと太陽が暑すぎたり。せっかくの計画も台風
でおじゃん。そんな事は当たり前、これが自然というものでしょう。この自然の中で、人間社会と同じ
快適さを求める方がおかしい。それでも、家の中では、夏は涼しく、冬は暖かい。というシステムを造っ
た。でも、これは社会のシステムの中だけであって、自然の中では全てがコントロールできるわけでは
ない。こんな風にして、自然に対応したらストレスが溜まる一方です。自然はままならない。これが当た
り前です。でも、ままならないから、社会システムに無い感動が生まれる場合がある。社会システムか
ら離れて、自然に入るという事はそういう事ではないでしょうか。そうでなければ、最新のAVシステム
を動員して、快適リビングの中に居ながら、巨大スクリーンにカリブでも地中海でも、インド洋でも、喜望峰
でも、映し出せば良い。ちょっとその気になれば、バーチャルクルージングが快適に味わえます。
結局、それらは、何ら、感動を与えるものではありません。快適かもしれないが、感動は無い。でも、それを
快適に得たいとフル装備で実現しようと試みます。でも、何でも求めると、全てが中途半端になりは
しないだろうか。昔の海外旅行と同じにならないだろうか。

ちょっと視点を変えて、何を最も楽しみたいかに絞り、割りきる。何かを得れば、その反対の何かを失う。
だから、陸と同じ快適さを求めるなら、そこに住み込むなら、セーリングは少しあきらめる所も出てくる。
逆に、多少の快適さは妥協して、セーリングを求める。求める物を絞り込み、その反対側にある物をあきらめ
ればあきらめる程、その求めるものが際立って味わえる。割りきり方が必要なのです。全部を求めると
全てが中途半端、あきらめれば得られるものがある。

再び、ノルディックフォーク25に乗ってきました。快適な物は何も無いと言って良い。でも、セーリングという
ヨットのエッセンスは最高にある。そんな気がしました。

次へ         目次へ