第十五話 キャビンの在り方
クルージング艇はヨットを家の様に快適にする事に邁進してきました。私に言わせれば、それがいけません。やり過ぎでしょう。サイズの割にボリュームがでかくなり過ぎた。だから、ヨットがヨットで無くなり、家としての要素が強くなりすぎたかもしれない。それで動かすのも、維持していくのも大変になってきた。しかも、それは経済的な事ばかりでは無く、気持ちの負担というのもあるわけです。気持ちが重くなってきたのではなかろうか?気軽さが失われてきたのではなかろうか? この方が重要と考えます。 本来、ヨットって何だろう? それは乗って、走って、それを楽しむもの。それで、ヨットのキャビンは何だろう? その走って遊ぶ事を支える為に、旅を続ける為の居住空間として、あくまでキャビンは旅を支えるものであった。これが本来のヨットとしての在り方では無いのかと思います。 でも、いつの頃からか、逆転してしまって、キャビンばかりが強調されるようになってきた。キャビンというのは、誰もが、容易に想像できるものですから、アピール度は高い。それに対して、セーリングを強調しても、誰もがクリアーに想像できるというわけでは無い。だからアピール度は低いのかもしれない。しかし、ヨットがセーリングを忘れてしまうと、ヨットで無くなる。ヨットである必要性が薄くなる。欧米ではそれでも良かったのかもしれない。しかし、本当はセーリングというものがあって、少なくとも走る、動くという大前提があるべきなのでは? それは速いとか遅いとかの単純な話しでは無く、セーリングは、デイセーリングから世界を回る外洋まであるわけで、そのヨットがいかなるセーリングを提供できるかが最重要ポイントであるべきで、その前提があって、そのうえで、キャビンの話しが次に来る。キャビン不要なんて言いません。キャビン要です。でも、セーリングの先を行ってはいけないと思うのです。まあ、百歩譲って、そういうヨットもあっても良いのかもしれませんが、一部なら。 稼働率の低下は日本だけじゃない。欧米でも同様の話しを聞きます。これは偏見かもしれませんが、原因は過剰なキャビンヨットにあるのではないか?それをクルージング艇と称した処にあると思ってます。せめて別の名前にして欲しかった。何故なら、クルージング派と称する人達は、普通に、そういうヨットに向かってしまうから。 レーサークルーザーと称するヨットがあって、その中身はいろいろあって、クルージング艇寄りのヨットもあります。別名、パフォーマンスクルーザーという言い方もあります。キャビンも充分。だから、クルージング派にとって、こういうヨットの方が良いのではないかと思ってます。この名称の影響は大きいと思います。無意識に区別されてしまいますから。レーサークルーザーという名前はクルージング派にとっては向かいにくい。ただ、セーリングを重視すると、コストが高くなる。そういう意味ではキャビンヨットの方が安い。これも要因だと思います。 でも、安かろうが、快適だろうが、使わ無くなったら、これほど費用効率の悪い事は無い。コストパフォーマンスは高いと強調するが、でも、使って、楽しくて、面白くて、そこまで含めて考えると、パフォーマンスは悪い。欧米では、それでも、別荘として使ってきたから、コストパフォーマンスは高いと言えたかもしれません。でも、最近の欧米事情は変化し始めた。キャビンが面白いわけじゃない。 ただ、いろんなタイプのヨットがあって良いと思います。キャビンのでかいのがあって良い。でも、それをどう使えるのか、使う側が吟味しなければならないのかもしれません。もちろん、別荘として使いたいのなら、最高かもしれません。でも、そうでは無いなら、クルージング艇とは分けた方が良いと思う次第です。もちろん、そういうヨットでもクルージングはできる。でも、言いたいことは、気持ちの問題です。気軽さの事です。それで、一部でかいヨットには横歩きするヨットも出てきました。でも、それでも、何だか気持ちが幾分かは軽くなるだろうが、それでも、あのボリューム感は変わらないので、どうなんだろうな〜と疑問に思えます。あくまで個人的な意見ですので悪しからず。 |