第二十八話 日本人気質

ヨットは欧米の文化、日本は海洋国家であって、海に囲まれた島国ではありますが、漁業とか商業ベースとしての海が色濃い文化ですから、長い海岸線があっても、その殆どの港は、商業として、或は、漁港として造られています。戦後復興を考えれば、ヨット遊びが日本に馴染みが薄かったのは当然かと思います。

それでも、発展と共にヨットが入ってきたのは、海洋国家としては自然な事だと思います。しかし、 そのヨットでどう楽しめるかが問題で、その操作方法が解っても、実際にどう遊ぶのか、楽しむのかは、また別な話しだろうと思います。ソフトの問題です。それで、当然ながら、欧米人と同じ様にやるのが常識的だろうと思います。それが、今日のヨットレースであり、クルージングであります。ところが、一点だけ、別荘的に使うというのは、日本には馴染まなかった。

欧米とは休みが異なります。それと仕事に対する価値観も違います。日本人にとって、仕事は単に生活の糧を得る為だけでは無く、生きがい、やりがいなんかも求めます。これに対して、欧米では、偏見かもしれませんが、労働は懲罰的な意味合いがあると思います。キリスト教的に言えば、アダムとイブが罪を犯して、その後、労働しなければならなくなったかと思います。それは罰的な意味合いがある。まあ、欧米人がみんなそう思っているかどうかは解りませんが?

労働が罪なら、労働していない時はそれだけでも良いのかもしれません。テレビなんかで、プールサイドに寝そべって、一日中読書してるとか、不思議に思った事がありますが、特別に何もしないで居る事ができるのも、そういう事かもしれません。労働と休み、これらに対する意識が日本人とは違います。マリーナに行きますと、たくさんの人達がコクピットに座ってるだけとか、誰かとおしゃべりしてても、ビール1本で何時間も話せる。労働していないだけで価値があるのかもしれません。初めて、アメリカのマリーナに行った時、ヨットの窓辺には鉢植えが飾ってあり、キャビンの中では、奥さんらしき人が編み物をしていました。この光景を見た時は驚きでした。

ところが、日本人はそうは行きません。労働に生きがいを求め、もちろん、休みますが、それは労働の為に休むという意味合いもありました。それが徐々に変化して、レジャーを考え、趣味に打ち込んだりもするようになります。しかし、それでも、相変わらず、労働は神聖であります。この日本人の気質のお陰で、奇跡の戦後復興はなされたと思います。その後、いろいろ変化はあるんでしょうが、日本人は今も基本的には変わっていないと思います。

こうなると、欧米人の様に、長期に休むというのは有り得ない事になります。せいぜい、みんな一斉に休むゴールデンウィークとかお正月とかの10日前後、そういう処に限られてきます。 考え方にも変化はあるものの、でも、まだ、今でもそれに近いと思います。

さらに、仮に休みたっぷりであっても、それを大いに満喫するという心理で一杯になるのでは無く、休みの時も仕事の事を考えたりします。堂々と休んで良いのに、あまり長くなると、後ろめたさなんか感じたりして。仕事していない後ろめたさです。或は、社会に対する帰属性の強さかもしれません。

アメリカ人の理想は若くして成功して、早く引退する事だと聞いた事がありますが、日本人は定年退職しても、尚、やっぱり仕事をしたくなったりします。今の若い人達は多少は違うかもしれませんが。

さて、そういう状況において、クルージングできるのか? という事です。短期ならOKです。でも、ヨットの旅って、本当は長期なんですね。一ヶ月とか当然です。という事は殆ど無理なんですね。クルージングは日本人の価値観として合わないと思います。もちろん、日本人は旅は好きです。でも、長期クルージングじゃ無いんですね。旅をしたいのですが、でも、仕事があるんです。日本人気質として、引退しても、遊びばっかりには、なかなか徹する事は難しいんだろうと思います。もちろん、例外はあります。しかし、一般的に、長期のロングクルージングというのは、なかなか難しい? これは物理的な問題より、心理的な作用ではないかと思います。

こう考えてきますと、別荘駄目、ロングクルージング駄目という事になります。でも、これまでは、西洋のソフトをそのまま従ってきました。でも、別荘や長期のクルージングは日本人気質には合わない。それが、現状を見ますと、そう見えてきます。では、どうすれば日本人に合うのか? そこが、これからの課題になると思います。 続く・・・・

次へ       目次へ