第五十七話 格差社会



      
現代は格差社会が進行していると言われます。それは、決して、経済的な問題だけでは無い様です。この間、ある大学の先生から伺ったのですが、今の学生、勉強する奴はすごくするし、しない奴は殆どしない。スポーツも同じで、プロにでもなるつもりか? と思う程、すごく頑張る者と、殆どやらない者の差が格段とあるそうです。何故か、あらゆる分野で格差が進行しています。

ヨット界も同じですね。稼働率が高いヨットと、低いヨットでは、大きな格差がついてます。そして、ひとつ言える事は、学生の勉強する者、運動する者、ヨットの稼働率の高さ、これらの方がマイナーだという事です。半分半分じゃ無いんですね。圧倒的マイナーです。

今の若者がどうとか言う問題では無く、大人も、年寄も含めて、みんな格差のどちらかに偏ってきているのではないか?今は、ひょっとしたら、世界がそういう流れの中にあるのではないかという気さえしてきます。

どっちを選ぼうが自由ですが、昔はみんな、才能があろうが、無かろうが、みんな一生懸命やって、それなりに楽しんできたと思います。それが崩れてきた。何故なんでしょうか? 他の事は解りませんが、ヨットに関しては、ヨットが広がっていく過程で、実用性を考えてきたのが、大間違いではなかろうか? ヨットに快適な生活を考えた。それは便利という名のもとに採用されてきた。その時、あくまでヨットである事が軸だったら良かったのでしょうが、軸がキャビンになったのが大間違い。少なくとも軸が曖昧になったのではなかろうか?キャビンは便利、快適、でも、それが面白いわけじゃない。自宅ににもそれがあるんですから。それは、つまり面白さよりも、楽を求めたからではなかろうか?

ヨットはヨットである事の存在意義を失うと、面白く無くなる。ヨットである必要性が無いから。 この辺りに問題があるのではなかろうかと思います。キャビンやその装備は付加されたついでみたいなものでなければならない、少なくとも意識的には。だから、もう一度、セーリングを取り戻したいと思います。ヨットは面白く無くちゃいけません。

        

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