第四話 たかがセーリング



      
考えて見れば、たかがセーリング、何の役にもたちゃしない。でも、そんな無駄にでも一生懸命になれたら素晴らしいです。そして、そのたかがセーリングでも、上手くなっていくプロセスは楽しいし、面白いし、こうなると、それが何かの役に立とうが立つまいが、そんな事はどうでも良いという気になります。

セーリングがもし、何かの役に立つなら、そのメリットを追いかけるようになって、何か違う方向に進まないとも限りません。役に立たないからこそ、純粋に追いかけて楽しむ事ができるのかもしれません。大いなる無駄、たかがセーリング、大いに結構だと思います。

でも、やった人には恩恵があります。セーリングに精通できる事です。そして、自分のヨットの性能も良く解るようになります。それだけでも良いなと思うのですが、さらに、陸上では決して味わえない、セーリングからしか味わえないフィーリングというものが手に入ります。味わいですね。もちろん、その後レースに入って行っても構わない。何にせよ、好きな事に好きなスタイルで一生懸命遊べれば良いと思います。しかし、少なくとも言える事は、そこに必ず進化が必要だと思います。

いい大人が、たかがセーリングに夢中になっているなんて、何だか格好良くないですか?

        

次へ       目次へ