第17話 体験談

昔は私もキャビンと装備を強調しながら販売してきました。広いでしょう、あれもこれもついてます。
ご家族みなさんで泊まれます。クルージングには最高ですよ、こんな調子でしょう。クルージング
だから、セーリングなんてマストとセールさえついてればそれで良い。その程度しか思っていなか
ったのかもしれません。お客様も内装ばかりしか見なかったし、デッキから上も広さと見かけぐらい
しか見られなかった。ステアリングです。広いコクピットです。電動ウィンドラスもついてます。
でも、どこかでアンカー打った人居ませんでした。船に泊まった人も殆ど居なかった。ある事といえば
たまに、仲間や家族をつれだって、ほんのたまにです、ご馳走一杯もってきて、天気の良い日曜日
にクルージングしてくる。その程度です。

ところが、あるオーナーがおられた。もちろん、クルージング派で、レースはされません。そのオーナー
は初心者だったのですが、ヨットはセーリングするものと思っていたのでしょう。セーリングについて勉強
されて、それこそしょっちゅう一緒に乗りました。わずかな飲み物だけを持って、1回を2,3時間、何度
も何度も乗りました。こんな乗り方でしたから、セーリングに集中していました。だいたい舵はオーナー
がとられるのが普通なのですが、このオーナーは覚えたいからと、舵を私に任せ、セールトリミングば
かりをいつもされていました。引いたり、出したり、それこそいつもセールカーブを見て、得た知識と体験
を繰り返しながら、1日に2回出す事も珍しくなかったのです。それまで、クルージングに出て、これほど
セールを扱うオーナーを見た事がなかった。

当然ながら、うまくなります。これだけ何度も出してくると、最高の時はやってくるものです。船もスタビリ
ティーの高いヨットで、かなりの風が吹いて、のぼりで走る。ブローが入るのを予測して、それに合わせて
シートを出し、ヒール角度は20°ぐらいをキープ、非常に滑らかなセーリング、タックを繰り返し、それも
どんどんスムースになり、ふたりとも集中していました。ある時、わずかな振動を感じました。それで気に
なって、マリーナへ引き返し上架したところ、キールの先端にわずかばかりの傷があったのです。これは
前回に、乗りまわしていた時に、つい調子に乗って、キールを当ててしまったのです。その時はすぐに、
帰ったので解らなかったのですが、次に出した時は違っていた。でも、ほんのわずかな傷でした。ある、
レーサーの方に、たったこれだけの傷で、良く解ったねと感心されたぐらいです。でも、出てすぐに、二人
で顔を見合わせました。何かへんじゃないですか?そんなわずかな事が感じられた。

出すときはいつもセーリングに集中していました。ゲストが居る時はゆったりセーリングでしたが、二人の
時は集中していました。最高の時は何度も来ました。言葉には表現できない、何とも言えない感覚です。
こうなると無言になり、ただひたすらセーリングに集中していました。時には突然の大雨にも会ったし、雷
が轟はじめた事もあった。でも、最高のスポーツを堪能したような、そんな感覚でしょう。そして、いつも
帰ってくると、今日のセーリングの話になります。そして、次はこうしようああしようという事になる。こういう
時はどうしたら良いかと話し合ったりしました。

のぼりは良いのですが、フリーになると途端に退屈になることがある。それで、二人しかいなかったので
がスピンを上げることにしました。二人でどうやってスピンを上げるか話し合い、試しました。これがまた
面白い。今まで退屈だったフリーの風が、これで俄然面白くなった。緊張もしましたが、その分集中して
面白い物を得た。

最高に記憶に鮮明に残っているのは、集中して走り、最高のセーリングをして帰りです。ふっと気がつくと
西の空に夕陽が沈みかけ、真っ赤にそまっている。ふっと息を抜いた時、それが目に飛び込んできて、
どのくらいの時間がわかりませんが、無言でそれを見ていました。その間、何も頭には無かった。実に
良かった。

クルージングと言えども、セーリングの楽しさを味わうべきだと思った次第です。キャビンでくつろぐ事もしょ
っちゅうでしたが、たいがいコーヒー飲みながら、ヨット談義が多く、いつもこんなヨット、あんなヨット、これは
面白そうだとか、こういう話が殆ど、これぞヨットの醍醐味ではないでしょうか。これが私の今のヨットに対する
考え方のベースになっています。クルージングでも、セーリングをないがしろにする事は、ヨットの持つエッセ
ンスの大半を失っていることになる。その残った部分さえも、あまり使わないなら、ヨットは単なるヨットの形
をした家でしかない。このオーナーには心から感謝しています。

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