第25話 My World

誰でも自分の世界というものを持っています。他人の影響を受けようが、常識にとらわれようが、
自分で解釈した世界が自分の世界という事になる。結局、自分と周りの人達や物などが客観的
にあるように見えて、実は自分と自分で解釈した他人や物があるという事になるのではないでし
ょうか。という事は全ては自分がどんな考え方を持つかによって世界が決まるという事になります。
同じ物や事象が、ある人にとっては良い事になり、またある人にとっては悪い事にもなる。物や事象
が悪くなったり、良くなったりするわけでは無い。自分がどう感じるかによってどうにでも変化する。
そういう事になります。

ある人がヨットをやめられます。事情はいろいろあるでしょう。でも、彼にとってのヨットに対する解釈
は私が持っている解釈とは違っている。私は乗れない大きなヨットなら、乗れる小さなヨットの方が
良いと思っています。でも、彼にとっては、小さなヨットは魅力的ではなかった。大きなヨットでなけれ
ばならなかった。でも、大きなヨットは一人では乗れなかった。クルーが居なくなった時、やめるしか
手段がなかった。彼の世界はそういう世界でした。これによって、彼はヨットから離れます。好きで
始めたヨットが、事情によってできなくなった。そういう結論です。

でも、事情は変わらなくても、ちょっと柔軟な考え方さえできればヨットをやめる必要はなかった事が
解ります。大きなヨットに固執した事がその原因となります。クルーが居ないというのが原因のように
見えて、本当は固執した事が原因だとわかります。私も含めて、人は大なり小なり、自分が解釈した
世界に固執しています。それが自分を縛り、自由を奪う事になる。でも、これにはなかなか気がつか
ない。これが良い、あれが良いと考えます。考えなければ選択はできない。でも、それに固執すると
できるはずの事もできなくなる事もある。非常に難しいですね。バランスが大切なのでしょう。

そこで、何事にも柔軟な姿勢を意識すると思う事が大切でしょう。つい忘れますが。大きなヨットが好き
なら、できるうちはそうする。事情が変わってできなくなったら、できる事をする。以外に小さなヨットでも
別の楽しみを発見するかもしれません。結局はこうやっていつも楽しみを見出しながらやるか、或いは
やめざるを得ない事を残念がるだけかによって、自分の世界は新たな解釈が加わっていく。どうせなら
できる事をして楽しめる方向が良いですね。できない事を嘆いても仕方ない。これが簡単では無いの
ですが。

私は大きなヨットも好きです。でも、小さなヨットで近場を気軽にクルージングするという事を薦めていま
す。何故なら、これが誰でもできる事だからです。それでいて、ヨットの醍醐味も充分味わえるからです。
大きなヨットに乗れる人は小さなヨットにも乗れるし、遠くに行く人は近場でも遊べるはずなのです。です
から誰でもできる事です。それさえ楽しんでしまえば、この先大きくなろうが、遠くへ行こうが、そして
どんな事情が来ようが、いろんな楽しみ方に柔軟に対応できると思います。意外に、小型の方がエキサイ
ティングで面白いという事もある。反対に小型に固執するのも良く無い事になりますね。柔軟な考え方が
柔軟な世界を作る。その世界が自分の世界であり、究極的には私と私が解釈したMY WORLDしか存在
しない事になる。という事は私はいつも他人と闘っているわけでは無く、自分の解釈した世界と闘っている
事になります。敵だと思うから闘う、でも敵だと思わなければ闘う必要は無い。全ては自分がどう思うかに
かかっている。さて、どうしたもんか?

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