第37話 スポーツ

スポーツはたいてい相手が居る。相手との戦いで勝つか負けるかを競う。ヨットの場合も
同じ。レースで勝つか負けるか。ただ、ヨットレースの場合はまだまだ完成されていない。
何故なら、人間の腕という要素もあるが、道具であるヨットに比重が高い。大きなヨットは
小さなヨットより速い。重いヨットより軽いヨットの方が速い。道具で既に勝負はついている。
そんなレースにエキサイティングな情熱を見出す事は無理である。それで、ハンディキャップ
を設けた。これなら全てのヨットがフェアーに戦える。ところが、デザイナーは有利なハンディ
キャップを得られるヨットを造る。ここにヨットレースのいびつさがある。ファーストホームのヨッ
トが必ずしも優勝では無いので、修正で下位のヨットが優勝となる。こんな解りにくいレース
があるか。最初にゴールしたヨットが優勝、これがシンプルで分りやすい。しかも、レース中
に自分達が判断できる。

それでワンデザインというレースがある。全て同じヨットで戦う。だから腕次第。日本ではJ24
のクラスがそうだが、海外ではもっと多く、レーサーだけでは無く、全くのクルージングボート
でさえ、同じヨットでレースをやっている。日常はクルージングを楽しんでいるが、たまに、こう
いうレースを楽しむ。みんな同じヨットだから、誰でも勝つ可能性を持っている。だから、面白い。
日本では同じヨットがたくさんは無いので、こういうレースは成立していない。でも、ワンデザイン
が最も面白いスポーツだと思う。

スポーツをすると、うまくなりたいと思う。ゴルフならば、グリップを工夫し、スウィングを練習し、
サッカーならボールの扱いをうまくなりたいと思う。野球でも、テニスでもボーリングでも、スポ
ーツをするなら、誰でもうまくなりたいと思う。その方が面白いからだ。その事が解っている。
その事がスポーツの繁栄を支えている。自分がうまくなれば面白いし、相手に勝てばなおさらで
ある。ところが、ヨットレースの場合は道具の比重が高いだけに道具に意識が向かう。それなら
勝てる者はお金のある者だけになってしまう。プロのトップレースはそれでも良いかもしれない。
最高の道具と最高の腕を見たいのだ。でも、一般はそうは行かない。だから、興味がわかない。
勝てない勝負など真剣にはなれない。だから多くはクルージング派と自分を称する。レースに興
味などありません。

それでクルージング派になると、さほどうまくなりたいとは思わなくなる。クルージングはスポーツ
では無くなってしまう。たまに来て、酒飲んで帰る。ぶらぶらとセーリングする。でも、もう少し考え
てみると、クルージング派でもスポーツになる。相手が居なくても、スポーツする事ができる。それ
がヨットが他とは違うところだ。

多くの人達がぶらぶらクルージングして、酒飲んで、たまにちょっと遠出して、やがて飽きてしまっ
た。そして、新しく始める方々も多くが同じ道をたどる。それで良いんだと自分でも思っている。
でも、それでは良く無いんです。

例え、レースで無くても、自分でスポーツする事ができる。戦う相手は居ないけれども、強いて言
えば風と波かもしれない。でも、本当はそれらは戦う相手では無く、協力する相手である。協力
して、自分の腕が調和すれば、りっぱなスポーツとしてその感覚が味わえる。ヨットというスポーツ
は戦うのでは無く、風と波へのより完璧な調和を目指すところにある。その調和のレベルが高く
なればなる程、自分の気持ちに反映してくる。完璧な調和は無いかもしれないが、調和度が高く
なれば、より高いレベルの感覚が味わえる。これなどは、ヨットならではのスポーツではないかと
思う。ところが、誰もこういうスポーツをしていない。

ただ、ゆったりと寛ぐという行為はそれで良い感情をもたらすものであるが、それだけでは飽きる
のだ。何ら感情を揺さぶるものでは無いからである。そんな物に情熱を感じる事はできないし、興奮
する事も無い。寛ぐという行為は生活の一部であるなら、それなりに要求されるものであるが、ヨット
の場合は生活の一部というより、一種のイベントである。そのイベントがゆったりだけなら、人は飽
きてくる。上に行ったり下に行ったり、感情が動くことによって、人は興奮し、感動する。人が求める
もの、人を魅了し、ひきつけるものはこの感情の動きにある。その為に最も良い方法はスポーツする
事である。自然との調和度を高めるように、真剣に走って見る事である。うまくなればなるほど、調和
度は高まり、興奮度も高まり、感情は上や下、右や左に動く。

究極的に人が求めるものは、自分の感情の動きではないかと思う。ヨットはそれを得る為の手段で
ある。その手段であるヨットに、感情の一部であるゆったり感だけで過ごそうとするのは自分でヨット
をつまらない物にしている。どんな物にも緊張と緩和がある。このふたつが折り重なって、人を魅了
する。スポーツでなくても、何でもそうではないだろうか。映画を見て、ゆったり感だけで面白いだろう
か、静的な事も、日本古来からある書道や生け花や、そういうものでさえ、緊張と緩和があると思う。
だから、人は感動できるし、それを求めて何度もチャレンジする。

例え、クルージング派であろうと、よりうまくなって、より高い調和を目指して頂きたい。それこそが、
ヨットの醍醐味であるし、感情を揺さぶる方法ではないかと思う。そして、その合間にゆったり感を
ブレンドすれば良い。舵の操作、シートの操作、より良い走りを目指して、スポーツする。そういう意識
を持つならば、必ずうまくなりたいと思う。うまくなれば高い次元の感動を味わえる。そうするとさらに
うまくなりたいと思う。これがスポーツです。そうすればヨットは味わい深いものになってくる。

外洋に出ていかない限り、ロングクルージングに行かない限り、キャビンなんて必要は無い。ただ、
たまにゆったり感をブレンドする為に、少しのキャビンがあれば良い。こういう選択は勇気が要るだろう
でも、こう割りきれれば、最高のフィーリングが得られます。緊張と緩和を味わいましょう。緊張だけで
は疲れるかもしれないが、緩和だけならつまらない物になってしまう。セーリングをスポーツしよう。

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