第八話 走りを楽しむという事


      

写真から推察すると、上りでメインを引き込んだ状態からシートを少し緩めてリーチを開き、その分ブームが風下側に落ちるので、トラベラーで風上側に引き上げツウィストさせた。そんな事しなくても、トラベラーは中央固定のままで、シート操作だけでもセーリングはできます。この僅かな違いは、実は大きな違い。

車だったらアクセル踏み込めば簡単にスピードを増す事ができます。ところが、ヨットはそう簡単な事ではありません。セールの形を見ては整えて、角度を見ては調整して、それでも車みたいに劇的にスピードアップするわけでは無い。少し速くなる程度です。おおまかなスピードは風速とヨットの性能でだいたい決まって来る。それ以上の事は物理的には少しの違いです。でも、これをやるかやらないかには大きな違いがあります。

この少しの違いが解る操船者だったら?解る者にとって、違いが小さいか大きいかでは無く、違うという事実を解る事が重要になります。解るからその小さな違いでも面白さに繋がって行きます。解らない者にとっては意味が無い。実は、この違いがセーリングを楽しむという点において大きな違いを生み出すと言っても良いと思います。

その時の風速でおおまかなセーリングスピードは決まります。それを楽しんで良いわけですが、それに終始してしまうと、これはその時だけの事では無く、長年に渡っての事として、そこに留まると、吹いたから走った、面白かった、吹かなかったから走らなかったという事で終わってしまう。ピクニックだったらそれでも良いですが、長年に渡ってセーリングを楽しんで行く場合、それ以上の事は無くなり、多分、そのうちあまり乗らなくなるだろうと思います。何故なら、それこそ風任せで、そのセーリングに自分自身をあまり反映させていないからです。

どうせやるなら、長期に渡って面白い何かを手に入れたい。それで、いろんな艤装を使えるようになっていくとすると、まずは知識がその違いを知るようになり、それを繰り返す事で、自分の感覚でもその違いが解るようになる。誰でもやればそうなります。すると、セーリングはその時の風速だけでは無く、それに加えて繊細な走り、その違いが加わる事になります。これでセーリングに自分の操作がより多く反映する事になります。つまり、セーリングは二階建てで、一階は吹いた吹かないの風任せの部分で、二階部分は自分の操作によって変化させる部分です。

これは何もスピードだけの違いでは無く、セーリング全体に及びます。僅かな操作で安定性が変化したり、舵への抵抗が変化したり、つまり、大雑把なセーリングと繊細なセーリングがある事になります。大雑把なら誰でも解る。でも、繊細さは、自分が同じレベルで繊細にならなければ解らない。

どうせ何年もヨットやるなら、違いの解る男になった方が面白さが解るという事になります。自分のヨットに自由自在になって、繊細さを獲得してその違いが解るようになる。これってそんなに難しい事でしょうか?いいえ、そんな事はありません。やる事に難しさはありません。ただ、繊細さのレベルをどこまで上げられるかです。どこまで上手くなれるかと同じです。難しいかどうかの問題では無く、どこまで上達できるかをただ楽しめば良いんじゃないでしょうか?

最後に、セーリングを楽しむにそこまで必要か?という疑問があるかもしれません。例えば、車だったら必要無いと言えます。充分に実用を満たす事ができます。でも、それで良いのは実用性があるからです。楽しみは他に求める事ができます。でも、ヨットに実用性はありません。でも、そのうち必ず一階部分だけでは満足できなくなります。ならば旅に出るか、セーリングなら二階部分を楽しむかという事になると思います。旅にもそれなりのノウハウが必要になる様に、セーリングにもノウハウが必要になる。それらを楽しむのがヨットというものなのではないかと思います。

従って、面白いかどうかは自分次第、どこまでやるか次第となり、ヨットや吹かない風のせいでは無いという事になると思います。

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