第二十一話 セーリングのひと時


      

ロングクルージングに興味は無い。レースにもさして興味を持っているわけじゃ無い。でも、滑らかに走るセーリングとそのコントロールの感触には、日常生活には無い感覚の世界が広がる。何らかの結果を求めるものでは無く、味わいの世界なんです。

行動を起こせば何らかの成果を求めるのが普通です。行動には目的がいつも伴いますから。セーリングに目的が無いわけじゃ無いが、それはどうしても達成しなければならない程のものでは無いと思います。上りの快走を目指すという目的はあっても、実を言うとそれ以上にどんな味わい、感触を得られるかの方が気持ちとしては重要な気がします。

喉が渇いたから喉を潤す為にコーヒーを飲むわけじゃない。ゆったりとした寛ぎを味わい、そこに旨いコーヒーを味わう。或いはビールかな?その旨さは喉を潤すと言う目的の為では無くて、そのゆったりした寛ぎをさらに潤すものではないかと思います。このわずかな時間は、何の目的も達成しないが、欠かせないひと時ではないかと思います。

セーリングとはそういう味わいの時間をもたらすのでは無かろうか?人に寄ってはたいした時間では無いかもしれない、しかし、人に寄っては、そんな時間を持つ事はお金にも代えがたい貴重さを持つ。多くの物に囲まれ、スケジュールを管理し、常に目的達成のもと行動し続ける。よって進化発展はより多くの物と行動スピードの強化に現れる。

そこに、時々、2,3時間の感覚セーリングをするとどうなるだろうか?人は動く機械では無く、生き物なんだと感じますね。考えてみれば、多くの物質を手に入れたいのも、行動する事によって得られる目的達成も、全てはその結果何らかの喜びを得る為、という事は最後は感覚です。

セーリングはダイレクトにその瞬間瞬間の感覚を味わいます。リラックスして、完全な受け身の大勢で感覚は次に何が来るかと待っている。と同時に知性はより良い感触の為に操作しつつ、その知的ゲームを楽しむ。課題は常に何かを求める自分の意識を捨てて、味わう事に徹する心を持てるかどうかではなかろうか?

でも、人は目的を持ちたがる。達成感を味わいたがる。ならば旅やレースの方がお薦めですが、セーリングは様々な感覚を愛でる事で、それで目的が達成できる。その日、その時の自分の気持ちがどんな状態かでも味わいは違ってきます。だから、何も期待しない完全な受け身になれたら良いなと思います。恐らく、それが最高のセールフィーリングをもたらしてくれるのでは無かろうか?否、全てのセールフィーリングに一切良い悪いを判断せずに、そのままを味わうのが最高の乗り方かもしれませんね。

ただ、殆どの方はセーリングだけでは満足できない様です。スピードが上がって快走したら気持ちが良いと言います。でも、あらゆるセーリングを愛でる事ができれば、セーリングそのものを愛でる事ができる。究極的にはこれかな?つまり、何も求めていない、あるがままです。これはセーリング技術以上に、この方が重要かもしれません。

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