第四十八話 デイセーラーに、何故60フィートが誕生するのか?


      

かつてデイセーラーなんてと多少小馬鹿にしていた方も、今日、60フィートのデイセーラーが出現して来るとなると、見方も変わってきた様です。何故、デイセーラーに60フィートなんかが出現してくるのか?そこを理解する必要があります。因みに、写真はイーグル54です。

ある批評家はデイセーラーをピクニックボートだと評した、むしろそう思い込んだと言った方が良いかもしれない。しかし、それは的を得た評価ではありません。今日のデイセーラーコンセプトを知らなかったのだから、無理からぬ処ではあるが、デイセーラーはセーリングそのものを如何に楽しむかという事をテーマにしたヨット、これが基本コンセプトです。となると、20フィートのセーリングもあれば、60フィートのセーリングもある。それぞれが異なるセーリングになります。だから、そんなヨットが出てくる。ピクニックなら必要だとは誰も思わないだろう。

かつて、セーリングはレースの為にあったと言っても過言では無いかもしれない。しかし、セーリングそのものを堪能するという考え方が出現した。例えば、競争では無くても、スキーやスノーボードなんかで、自由自在に滑れたら気持ちが良いじゃないですか。それと同じでしょう。サーフィンだって、ウィンドサーフィンだって同じです。その行為そのものを楽しむ。

ところで、スキーやスノーボード等は、失敗すれば転倒したりします。でも、セーリングはディンギーじゃ無い限りそういう事は無い。が故に失敗という明確なラインがありません。失敗に気付かない。失敗と思っていない。転ばないのは良いんですが、反面、失敗しないようにしようという意識も起こらない。これでは実は面白さが明確になっていかないんです。失敗が分からないのと同じ様に、上達も分から無い。だから、ぼーっと乗ってたんじゃ、自分の失敗に気づかないという事になります。そこで真剣にセーリングをすると、自分の失敗に気づくようになれるし、それは同時に成功にも気づくようにもなれる。つまり、上達に気づける。それが面白さだと思います。

そうやって本気でセーリングをすると、60フィートなんかのデイセーラーを求める人達も出てくるというわけです。ピクニックヨットだったら、まあこういうサイズは出てこないと思います。もちろん、時にピクニックも楽しみますが、それが主軸になる事は無い。という事で、デイセーラーはプロダクション化されたヨットだけでも多くのサイズバリエーションがあります。

現代はクルー不足の時代、そして便利になればなる程、逆に現代人は忙しくなる。そういう事を考慮していくと、デイセーラーが出現してきた意味が分かります。それは気軽にピクニックしたかったからでは無いのです。ピクニックならどんなヨットだって良いんです。そうでは無いんです。

レースにおける真剣なセーリングは面白い。しかし、勝つか負けるかという真剣勝負、その真剣さと緊張感を勝負においてでは無く、セーリングそのものに注いだ時、そこに見えてくるものがあった。それがセーリングそのものを愛でる事、味わう事、感性と知性への刺激、しかも、それを自分の裁量で自由にできる。こういうのは、ヨットが深くその国なりに浸透していないと、なかなか広がっていくものでは無いかもしれません。だから、欧米では広がっても、日本ではまだまだ、でも、これからです。もっと自分のヨットライフについて、本音で考えてみてはどうでしょう?いつまでも動かないヨットをそのままにして、この先何か良い事があるとは思えませんから。

そして、最後に、デイセーラーがシングルハンド仕様なのは、そういうセーリングを最も堪能し易い環境にする為です。もちろん、ダブルハンドでも構わない。ただ、同じ価値観を共有するならです。そうじゃないといくら友人でもなにがしかの気を使います。是非、セーリングを自由自在に楽しんで頂きたいと思います。美しいヨットを美しく、自由自在に走らせる。これがデイセーラーの理想です。

次へ       目次へ