第九十一話 冒険者

      


いつも近場を走っていると見慣れた風景で何も違わない。一方、旅をすれば風景がゆっくり変わります。旅と近場は時間と風景の流れが違います。その流れの違いは視点の違いにある事に気づきます。近場を走って風景に視点を置いてもいつもと変わらない。だから風景以外に視点をおきます。見慣れた風景であっても、滑らかに快走する場面に出遭うと誰もが気持ちの高揚を感じます。それがデイセーリングです。

デイセーリングは当然近場のフィールドになり、そうするとエンジンを使うよりセーリングに視点を置き、その中で最も変化するのがそのセーリングの中身となります。近場であっても常に波と風は変化し続けるが故にセーリングも変化し続けます。その変化に視点を置いて、そのセーリングをより楽しむ為にデザインされ、建造されたのがデイセーラーというヨットです。デイセーリングのフィールドはどこでも構わない、場所を問わない、短い時間に濃厚なセーリングを堪能するに相応しいヨットです。

神経を集中して旅の様に10時間とか長い時間をセーリングすることはありません。人の集中力はそんなに長く持たない。2,3時間が良いとこかもしれません。その短い時間に集中して走れば、実に多くの変化、微妙な変化でさえも簡単に気づきます。大きな変化から微妙な変化まで、気づけばそれに対応しようとします。すると今度は操作に対する反応が生まれます。そういう事を何度も繰り返し、微妙から大胆にまで変化する風や波に対する操作と反応を楽しむ事なります。

最初はいわゆる良い風が吹いて快走する事が面白さなのですが、徐々に強風に対する対応、微妙な変化を起こす風に対する対応、ありとあらゆる変化に対応していく自分自身が居て、つまり、どんな風であっても面白さを感じるセーリングをするようになります。

ヨットは長い時間を必要とすると思われるでしょうが、それは旅にはそう言えます。しかし、セーリングを堪能するには逆に短い時間の方が良いんです。半日程度の時間で堪能する事ができます。その為には気軽に出せる事、シングルでも良い事、セーリング性能が高い事、操作が楽な事、等々が求められます。それを求めたのがデイセーラーです。つまり、デイセーラーの目的はセーリングそのものを愛でる事です。

セーリングを愛でる為にはセーリングを学ぶ必要があります。理屈を覚えて実践して確かめて、それを何年も積み重ねながら、それら一連の行為そのものが遊びであり、それらは理屈だけでは無く、おおいに感じるところでもありますから、徐々に、理屈で走る処から感覚的に走る方がより多くなっていくと思います。まさしくヨットと一体感を感じる処かもしれません。

デイセーラーのセーリングは簡単です。同時に、セーリングは非常に奥が深くとても難しいと言えます。どこまで行けるかは別としても、そんなセーリングの深さを探求するというのがデイセーラーの究極の目的かもしれません。そして、それはその冒険者にしか解らない。冒険者とは探求する者を指すと思います。

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