第二十四話 ねばならない?

世の中は、何々でなければならないというのが多過ぎるようです。子供はこうあらねば
ならない。学生はこう、大人はこう、親はこう。誰かがそう言ったわけでは無いのですが
自然にそういう意識が住みついてしまったような気がします。反面、ねばならないという
モラルなどがある中で、昨今の犯罪の多い事。社会が豊かになり、ねばならないが多い
というのも関係しているのではないかと思うのですが。

もし、そのままで良いよ。と言ったら、誰でも気楽になれますね。そのままというのは、
自分自身のままで良いという事です。何か他人と同じ目的地を目指す必要など全く無い
これがそのまま個性にもなる。

私は田舎に居ますが、それでも気がついてみると、子供の同級生や近所にも外国人が
増えてきた。九州ですから中国、韓国、フィリピン、それにアメリカ人も居ます。東京では
珍しくも無いのでしょうが、私の子供時代からは考えられない事です。これを良い事と捉
えるならば、日本という独自の文化が生んだ同質化の悪い面が噴出し、外国人が近所
に増えてきたという現象は、日本人にその弊害を教え、新たなる価値観を求められてい
るのではないかと思います。新しい価値観とは、自分自身のままで良いという事。
誰もが、勉強できて成績が良い必要は無い。誰もが営業向きでは無いし、計算が得意
でも無いし、誰もがスポーツが得意でも無い。できない事を一生懸命やるより、できる事
に磨きをかけた方が良い。

ではヨットでも同じ事でしょう。他人と同じなら安心かもしれませんが、自分が最も楽しい
乗り方、使い方をするのが最も良い。ところが、長い間そうしてこなかったので、自分が
何を欲しているかが解らなくなっています。これは徐々に気がつく必要がある。第一印象
とか直感とか、そういう物が案外自分にあっていたりするのではないかと思うのです。
理屈は後から来る。今までは、後から来る理屈が直感を否定してしまう。それで、いつも
無難な、同じパターンを繰り返す。子供の犯罪も多い昨今ですが、こういう同質化に耐え
られない事の影響があるのではないかと思うのです。

私はシングルハンド推奨者ですが、何も全ての人がシングルハンドに合うわけでは無い
し、そうなっても面白くも無い。だから、合う人がそうすれば良い。外洋を目指す人がいて
日本一周を目指す人が居て、そしてデイセーリングをする人も居る。どれかが優れている
わけでも無く、劣っているわけでも無く、楽しんでいればそれが最高なのだと思います。
大きなヨットと小さなヨット、どちらでも良い。クラシックでもモダンでも、レースでもクルー
ジングでも、スポーツセーリングでも良い。自分を変えて、他人に合わせる必要など全く
無い。

アレリオン28というシングルハンドのオーナーがおられます。今、流行のヨットとは全く
異なりますが、オーナーはとても気に入っておられる。自分のスタイルに合っている。他人
はとやかく言うものですが、要は自分が楽しいかどうかが最優先ではないでしょうか。

子供でも好きな事なら進んでやります。中途半端になるからストレスが溜まる。徹底的に
やらせれば、そこから何かが見えてくる。それを社会が受け入れるような雰囲気になれば
もっと良いのにと思いますね、最近は。世の中がこう言うから、自分も同じ意見を言わない
といけないような、そんな気分になるんですね、日本は。誰かが強制しているのなら、変え
るのはまだやさしいですが、自分でやってるんですから、これは難しいかもしれません。
でも、変えようを思えば変えられる。まずは、そう思う事から始めたいと思います。他人の
意見は参考程度にして、自分で決める。全て自分の責任ですね。

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