第六十八話 楽する事&感動する事

求める物は二つ。楽か感動かです。そして多くの方々が楽を求める。楽を求める事は悪い事
では無いと思います。でも、楽だけ求めると、その先には何も無い。老体にムチ打ってハッスル
する必要は無い。それでファーラーや電動ウィンチを求める事には賛成です。楽してセーリング
ができる。それはそれで良い。

感動というのは、追求してはじめて得られる感覚です。求める物は得がたい物であり、簡単では
無い。でも、得がたい物であるからこそ価値がある。得がたい物を得た時に喜びがある。楽をして
も良いが、そこに留まらず、何かを追求していってはじめて、感動が得られるのです。追求するか
らこそ奥が深いのです。

ヨットは奥が深いと言われます。でも、本当はヨットが奥が深いのでは無く、乗り手が奥が深いの
です。追求する人は奥が深い。ですから、奥の深さを味わう。それはヨットの奥の深さでは無く、
自分自身の奥の深さを、ヨットを通じて味わっているという事ではないかと思います。

という事は、何でも奥は深くもなるし、浅くもなる。ひょっとすると、キャビンライフでさえも、自分が
追求するという姿勢を持てば、奥の深さを味わえるのかもしれません。でも、キャビンライフに求め
るものは、一般的には楽ですから、人間、楽をすると、そこから先に求める事をしなくなる。これは
肉体的な楽の事です。精神的に楽を求めると、これはもっと深いリラックスというのがある。

つまり、肉体的、物理的には限界がある。でも、精神は限界が無い。それで、精神につまり心に、
感じる事に重きをおいて、物理的な事を通しながら、追求していくと、そこに奥の深さが感じられる。
これには際限が無い。際限が無いので、永遠に追求できて、永遠に感じる事ができる。

ヨットがどうこうというより、奥の深さを知る事が充実感につながる。うまい食事をする。うまいだけで
終われば、それは楽の部類でしょう。でも、もっと追求していくと、感じる何かがあり、それは心の
満足になり、充実感になる。

ヨットで何かを追及するというなら、セーリングが一番ですね。電動ウィンチやファーラーをつけて、
肉体的な楽をしても、それは手段であって、目的はセーリングです。自分自身の奥の深さを味わう
セーリングを通じて味わうのです。ヨットはただの物体です。セールカーブがどうのこうの言っても、
たかが形です。でも感じる心が、奥が深ければ、感動するのです。それを感じ、味わえるのです。

ある方、年に70回以上セーリングに出られる。長い距離ではありません。でも、こんなに乗るには
相当奥の深さを味わわなければできるものでは無い。セーリングを楽しんでいるようで、同時に、
感じる自分を楽しんでおられるのかもしれません。

所詮、世界は自分を通してしか知る事ができない。自分が死ねば、世界は無いのと同じです。世界
がどうこうというより、自分を通した世界ですから、良いも悪いも、楽しいも苦しいも、退屈もエキサイ
ティングも、全ては世界がそうではなく、自分がそうなのではないかと思うのです。だから、物に何か
を求めるのでは無く、自分の主体性の問題でしょう。

これで解った。ヨットが動かないのは、楽しもうという意思が無いからです。表面的には楽しみたいと
誰でも思っています。でも、その楽しみが向こうからやってくるを待っているのではないでしょうか。
待っていても、何も起こらない。求めた人にだけ、やってくる。

ああでも無い、こうでも無い、時間が無い、クルーがいない、キャビンが狭い、あれが無い、これが
無いと言っている間に、時間はどんどん過ぎてしまう。遠い島にあこがれているくらいなら、目の前で
1時間でもセーリングしてみると、その方がよほど心は動く。そして、そうやっていると、いつか遠くの
島へ行けるものです。だから、デイセーリングを充実させる事、いつかでは無く、今、目の前でできる
事をするのが大切だと思うのです。そして、すぐにできるようにするには、できるだけ身軽である事、
クルーが居なくてもシングルで乗れる事、そういう、身軽さが全てを可能にする第一歩ではないかと
思うのです。ですから、シングルハンドのデイセーリングがお奨めなのです。そして、セーリングを
追求していくと、深さが味わえる。これが何より、楽より、楽しい充実感ではないでしょうか。
元大関貴乃花がいっていましたね、気があれば、技はどうとでもなると。その気になれば、技術なん
てものはどうとでもなる。身に付いてくる。同感です。たかが遊びにそこまで、とは思うかもしれませ
んが、遊びだろうと仕事だろうと、気を入れた者だけが感じる事ができる。そこそこで良いといえば
それでも良い。でも、感じるのもそこまで。

次へ     目次へ