第九十四話 MIND GAME

こんな題名の歌もありましたが、まさしくこの言葉とおり、全ては心のゲームではないかと思います。
物や事象には、それ自体の意味は無く、それを見る人がどんなゲームをするかで決まる。楽しい物
退屈な物、でも、物が楽しいわけでも無く、退屈でも無い。それを扱う人次第でしょう。

つまり使う側に責任がある。ヨットで何をするか、というより、どんなマナーでどんなゲームをするか、
このするという行為は心に感じるフィーリングとして残る。つまりマインドゲームなのです。どうせやる
なら、楽しいゲームをしようではないですか。その過程には恐怖もスリルもあるかもしれない。でも、
トタールでは楽しいゲームになるはずです。何故なら、すきでやってるゲームだからです。ヨットは
してもしなくても良いものですから、誰も強制はしない。自分の意思でするのは好きだからでしょう。
ところが、実際にするとなると、頭が先に動いて、ああでも無いこうでも無いとなる。するとゲームを
する前の前置きが長過ぎ、気軽さが無くなる。するとゲームをする時間も少なくなる。

あれが無くては、これが無くてはと考えているうちに、今できるゲームができなくなる。と言っても、
それもゲームか?どうせなら、楽しいゲームをしたいものです。

メインテナンスというゲームもある。セーリングというゲームもある。キャビンで料理を作って、みんな
で食べるというゲームもある。或いは、暇が無いからマリーナに行けないというゲームもあれば、遠く
へ行きたいけどそういう長期休暇は無理だからという言い訳のゲームもある。どんなゲームをしようと
も自由ですが、どうせなら、楽しいゲームをしようではないですか。

自分がどんな風にゲームをしたいかを考えて、もちろんいくつもあるでしょう。でも、その多くのゲーム
の中から、今できるゲームを今楽しむというのが良いと思います。今できないというゲームより、今
できるゲームをしましょう。

今できるゲームがでっかいヨット買って、南太平洋に行く事ならそうすれば良い。小さなヨットで、湾内
でセーリングする事ならすれば良い。少なくとも、したいけどできないと悔しがるゲームよりよっぽど面
白い。どんなゲームが面白いのか、何をして、どんなフィーリングを得たいのか、それを考えた方が良い
のではないかと思うのです。

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