第十二話 PLAY THE GAME
ゲームと言えば、TVゲーム、パソコンのゲームを思い浮かべます。でも、考えてみたら、実際に遊んでいる事もゲームです。そして、みんな、そのゲームをしています。遠い所へのクルージングもゲームですし、近場のセーリングもゲーム、そして乗らないというのもゲームです。どんなゲームをするかは自由ですから、誰からもとやかく言われたくありません。自分の好きなゲームをしているだけです。 エキサイティングで面白いという事だけがゲームでは無く、退屈でどうしようもないゲームもあります。それは自分で選んだゲーム、面白いも面白く無いも自分の意思で決めたゲームです。そのゲームをじっくり味わって、面白ければもっとやるし、面白く無ければ別のゲームをする。或いは、面白く無いけれども、いつまでもそれを続けている人も居ます。暇が無いというのもゲームのルールです。クルーが居ないからというのもゲームのルールです。ただそれだけです。 いろんなルールを自分で造って、その範囲でできるゲームをしているに過ぎません。楽しいか楽しくないかは自分次第、ルールのせいでは無いと思います。暇が無かったら、暇を作る努力もできるし、短時間で遊べるゲームを考える事もできます。それができないなら、所有しているだけのゲームをしても良いし、それが嫌なら、他のゲームに移行しても良い。兎に角、今しているゲームを充分味わって、そのままにするか、変えるかを決める。全てはゲームに過ぎません。どんなゲームをしようが自由ですから、私がとやかく言う筋合いではありません。嫌々、言うのもゲームですから、迷惑さえかけなければ自由です。そして聞かないのも自由です。 そう考えますと、気が楽になります。人と同じゲームをしても良いし、違うゲームをしても良い。所詮ゲームですから、自分のしたい事をするゲーム、そしてみんなしたい事を既にしています。重要な事はそれで良いかどうかです。良ければ続けるし、悪ければ変える。ただそれだけです。遊びは自由でなければいけません。する自由、しない自由です。自分の意思で、したいゲームをしているのだと意識すれば、それで良いと思います。そうすれば、今やってる事が自分の自由意志で決めた事だとわかります。 マリーナでたくさんのヨットをを見る時、もっとどんどんヨットに乗ってもらいたいと思います。でも、その方も自分のゲームをしているに過ぎません。余計なお世話です。ただ、こんな方法もありますよ、こんな考え方もありますよと言うのも自由ですから、続けていこうと思います。聞くも自由、聞かぬも自由。 ただ、一般の方々とは違い、毎日365日、ほとんどの時間をヨットの事を考えていますから、多少の参考にはなるような事も書ける時があると思います。今や情報が氾濫しており、何がどうなのかを判断する事は難しい。ですから、何かピンと来るものがあったら、是非試していただきたい、参考にして頂きたいと思います。ゲームですから自由に楽しくやりましょう。気楽にです。気儘に、我侭にです。それが遊びの良いところではないでしょうか。 全て自分で決めた事だと意識しますと、再び、自由が戻ってきます。どうするかは自分で決める事ができるからです。自分を取り巻く事情に左右されるかもしれませんが、それらは今自分のおかれた環境ですから、今はそれがルールです。そのルールにいつまでも固執しなければならないわけではありません。今はそのルールですが、変える事もできるでしょう。 そのいろいろなルールの中で、最大公約として、デイセーリングをお奨めしています。デイセーリングを楽しめるようにする。それもシングルでやるのが、最大公約です。最小人数(自分だけ)で 最短時間で、ヨットの醍醐味を味わう事ができます。これができれば、何だってできると思います。 面白ければ、何とかしてでもヨットに乗ろうと思います。まずはその面白さを味わう事が先決です。 そして味わう為には、やっぱりヨットに乗らなくちゃいけません。卵と鶏とどっちが先かという事になりますが、ただ乗るだけでは不十分で、セーリングに集中する事が必要かと思います。そういう乗り方である一定期間乗れば、必ずそういう事があると思います。ただ、それだけでは無く、スリルや 寒さ、暑さ、辛さなんかもあると思います。良い事ばかかりでは無く、こういう事も受け入れなければなりません。でも、それを受け入れた人はあまり辛さを感じないし、それさえも面白さに変えてしまう人も居ます。考えてみれば、そういう事もデイセーリングなら、すぐに帰る事もできます。 山上りで言うなら、夏のコースかもしれません。山は冬とは大違い。軟弱コースと言われるかもしれませんが、軟弱、おおいに結構かと思います。軟弱でも、山頂の爽快感を味わう事ができます。デイセーリングは軟弱コースでも、セーリングの醍醐味を味わう事ができます。それもひとりでできるなら、他人の都合を聞く必要も無い。招待したい人は誰でも呼べる。仲間を呼ぶのと、仲間に頼るのとは雲泥の差があります。誰にも頼らないのは、最大の自由です。そして、仲間を招待する事もできます。その自由を確保しておく事はとっても大切かなと思います。 |