第六十九話 所有から運営へ
これまでは所有する事が目的であった。頭の中ではいろんな計画もあったし、夢もあった。でも、その計画を現実に実行するには、ちょっと簡単でも無かった。それが現実では無いでしょうか。だから、どれを買うかを検討していた時が最も楽しかったという感想が漏れてきます。 本当は所有してから後が、もっと面白くならなければなりません。乗れば、乗る程に面白くなる方が良いわけです。物を入手するとか、どこどこに行くとかは、外部から得られる満足感です。でも、この満足感は常に更新していかなければ、薄れてきます。反面、知識を得るとか言う事も更新していかなければなりませんが、その結果、上達していくとかは、内面から出てくる喜びであり、減衰していく事が無いのではないかと思います。 但し、物は簡単明瞭ですが、上達とか言う事はわかりにくい。それが問題です。実際、乗っていきますと、上達して、これで良い、もう免許皆伝だと言う感覚が沸き上がって来ません。ただ、たまに何かのひょうしに、俺もまあまあだなと思う時が来る。でも、これには終わりが無い。人は解り安い方向に向い易い。ですから、どうしても物や目的地やイベントやレースの結果などに向かい易い。 喜びは誰かとわかつ事で一層の喜びとなります。シングルでひとりもくもくと練習に励む。どんどんうまくなっていきます。でも、ある日、無性に寂しくなる事があるかもしれません。それは喜びを誰とも分かち合えないからです。ですから、シングルハンドの方にもイベントがたまに必要です。それは自分の感じた事をどこかで話す機会を設けたり、例えば、地元のヨットクラブの仲間とか、或いは、当クラブのSS倶楽部とかです。また、ローカルのレースに出て見るとか、誰かを招待してセーリングを提供するとかです。それが全く素人の方でも良いわけです。そういうイベントをたまに設けると、喜びは分かち合え、また、明日からのセーリングが面白くなると思います。 つまり、喜びを分かち合いたいが為に、誰かとどこかに行きたかったり、レースに出たりするんではないでしょうか?例え、ひとり旅をしても、行った先々の方々との交流や帰ってきてから、誰かに話をしたり、それが楽しいのではないでしょうか。家に帰って、奥さんがふんふんと聞いてくれるだけでも嬉しいのではないでしょうか? つまりは、人はひとりでは楽しめないという事になります。では、シングルハンドはどうかと言いますと、これは自己の追求であります。それを多いに薦めております。これこそが最大の自由だからです。でも、たまに、発表する場を持つ事をお奨めします。自分の体験を聞いてくれる人、奥さんでも子供でも友人でも誰でも良い。或いは、当倶楽部に入部して頂いて、その体験談を掲示板に投稿する。友人や奥さん、子供を年に1回でも乗せて走る。たった、それだけで良いと思います。 人は喜びを他の人と分かつ事が喜びである事を知っていますから、一緒に何かをしたがります。でも、これが逆に、一緒にでないと何もできない事にも繋がります。イベントのみを考えますから、めったにできない事になります。 例えば、シングルであろうが、ダブルであろうが、日常的にいろんな経験をしているとしますと、たまに誰かが来た時、或いはどこかで誰かと飲んだ時、こういうイベントは増幅して、楽しさを分かつ事ができます。聞いてる方もその方が楽しいです。それで、こういうイベントばかりに気持ちが集中していきかねません。その方が楽だからでしょう。でも、発表の場ばかりでは、ネタはすぐにつきてしまいます。ネタ仕入には、日常のセーリングが必要です。 この間のセーリングはぞくぞくしたなんて話を聞きますと、今度載せてもらいたいなと思うわけです。それで、運営の最も良い方法は、もちろん、デイセーリングでいろいろ経験して、そして、時々、その経験を誰かと分かつ事だと思います。 湾内から出た事が無い方は黙っています。恥ずかしさがあるからでしょう。でも、湾内でも自由自在に乗っている方は、どうどうと話ができる。湾内から出ていなくても、自信があるからでしょう。 湾内から出なくても良い。そんな事は関係ありません。どこどこに行った事が無くても、全く問題じゃない。要はどれだけ経験し、その経験から出た喜びを他の方と分かつ事ができるかではないかと思う次第です。経験しないと、分かつものもありませんから。 こういう意味では究極のシングルは無いのかもしれません。誰か一人でも、その喜びを分かつ人が必要なのかもしれませんね。多いに、当SS倶楽部を利用していただきたいですね。日常の何でも無い事柄でも、ああだったこうだった、こう感じたなんて事を投稿していただきたいです。 イベントは発表の場、発表するには日常の、影の練習が必要です。裏で積み上げたものがあるからこそ発表の場にはおおいなる意義があります。宴会も、誰かを乗せてあげる事も、自分以外の誰かに接触する事は発表の場ではないかと思います。それを意義ある物にするには、裏で、どれだけ充実したセーリングをしているかにかかっているような気がします。どちらか片方では、喜びは100%にはならない。その両方が両立して、はじめて喜びは充実していくのではないかと思います。人はほっといても、発表の場を作ろうとします。ですから、裏での日常でのセーリングを充実させる事が成功の秘訣ではないかと思うのですが。そしてそれが面白く無いといけませんね。 |