第二十七話 年齢

ヨット界は高齢化が進み、50代が若手と言われるようになった。昔のいわゆる若手が、そのまま年齢を重ね、それに対しもっと若い人達がヨット界に入ってこないだけであります。だから、50代は若手、60代なら中堅、70代以降はベテランかな? そんな世界が他にどこにあるでしょうか?50代は若手、おおいに結構だと思いますね。そんな世界は他には無いんです。

でも、ヨットで遊んでいる人達は、確かに実質年齢は高いのかもしれないが、見る限りではみんなかなり若い。50代なんて若造であります。おしゃれだし、ちょいワルオヤジという感じかな。若い連中が、どうしたらヨット界に来るかなんて事は考えずに、どんどん遊んだら良いと思います。何しろ、これまでたっぷり仕事してきたわけですから。いまでも現役でしょうけれど。

遊ぶと言っても、本当の遊びは傍で思う程ヤワじゃない。おねえちゃんとちゃらちゃら遊んでるのとは違います。おねえちゃん載せて遊ぶのも、もちろん良いが、それだけじゃない。50代なら、スポーツを中心に、セーリングを極めたい。実際、極める事は困難だが、そういう方向性だけは持ちたい。60代になったら、スポーツ性が体に馴染んできて、ハッスルする必要もなくなり、少しこなれた感がわいてくる。ピクニックセーリングでも、そのこなれた技が光る。70代になったら、ベテランの域。その熟練したセーリングに、何かを求めるというより、今日のあるがままのセーリングを楽しめる。

自分の年齢と、これからの成長への変化と、おおまかなイメージを持っても良いかと思います。言い方を変えれば、それは夢。ただ、何となく、だらだらと乗るのだけは、何だかもったいない。ヨットやる限りは、それなりの技術を身に付け、ヨットやってきた感を持ちたい。

うまい人のセーリングは、ピクニックセーリングでさえも違う。それは技術だけの話では無く、何か、自然に身に付いた身のこなしとか、ちょっとした時に出てくる知識とか、流石と思わせてくれます。
状況判断に優れていると言う事でしょうね。だから実に格好良い。

ヨット界の人達は若い、一般的な年齢から10歳ぐらい差し引いても良いんじゃないかな? 遊び心があって、時にくだらない事して、それを笑い飛ばして、豪快でもあり、知的にも遊べる人達です。

日本全体の人口から言っても、ヨット界の人口はかなり少ない。今、やってるそんな事を経験しているのは、ほんのひとにぎりの人達なのであります。全人口の0.01%がオーナーなのです。実に、一万人にひとりの割合です。マリーナに行けば、ヨットがたくさんあって、そういう事は思いませんが、世間からしたら、一万の一なのであります。

遊ぶ事ができるのは若い証拠、何かに夢中になれるのも若い証拠、年は取るものですが、それがどうしたという感じ。遊べなくなったらおしまいです。何にも関心がなくなったらおしまいです。それこそが、年齢なのでありますね。無駄を遊べるのは若者だけじゃない。青春という言葉は最近聞かれなくなりましたが、何かに夢中になったら年齢なんて気にならないし、その気にならない時が青春なんでしょうね。

世の中には全く趣味が無いという方も少なくない。お気の毒としか言いようが無い。趣味は何でも良い。ただ、仕事と違うのは、それでもって利益を得る事を目的としていない事。利益を目的としていないので、そこに縛られる必要が無い。だから必死になる必要も無い。だからこそ、一生懸命やっても、苦しくは無い。否、苦しいこともあるんだけれど、そのニュアンスは異なる。何の利益ももたらさない趣味だけれど、本当はそこから得られるエネルギーみたいないものは、やった者だけに与えられる別の意味の利益でもある。この利益は、盗まれる事も無く、無くす事も無い。

自転車に乗れるようになると、その世界を手に入れる。楽器を弾けるようになれると、その世界を手に入れる。本を読むとその世界を手に入れる。ヨットに乗れるようになるとその世界を手に入れる。世界はたくさんあった方が良い。そしてできれば、その中の一つに精通したい。そうしたら、バリエーションと深さの両方を知る事ができる。

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