第三十八話 目的と手段

我々の究極の目的は生きる事と楽しむ事だろうと思います。生きる事は基本ですから、今更言う話ではありませんが、もうひとつの楽しむ事には実に様々なバリエーションがあって、単純に快楽的な楽しみを指すとは限らず、充実感や、面白さや、いわゆる幸福感等々、いろいろあります。そして、その目的を達成する手段としては、無限な程のバリエーションがあります。

つまり、我々が日々行っている行為そのものは、手段であって、それが本来の目的では無く、その行為の結果、そうなるであろうという前提で行動をしている事になります。その手段のひとつがヨットという事になります。ヨットを使って、どのように運営していけば、目的とする幸福感を得る事ができるか?

ヨットは特別なモノという捉え方がありますから、まずは所有するだけで幸福感を得る事も可能です。また、そのヨットで特別な事ができるという事もありますし、その行為がどんな幸福感をもたらしてくれるかという想像によって行動する事になります。

という事は、自分の幸福感とは何か? そこを想像する必要があります。幸福感とは快楽なのか、充実感なのか? このふたつに、大きくは分類できるのではないかと思います。そして、この二つの違いは、まず快楽については、環境的条件が整う事ではないかと思います。友人とか家族とか、或はひとりにしても、天候とかを含めて、環境が整い、そのうえで、自分自身も気分が良い事。つまり、環境に左右される事になります。

もうひとつの充実感は、これももちろん環境に左右されますが、前者程ではありません。多少の環境的不都合も、自分の工夫や努力によって、それらを乗り越える事によって得られる。だから、これら二つは別物だろうと思います。

それで、この二つをもう少し考察しますと、快楽は、例えば、静止画のようなモノで、楽しい場面を想像します。一方、充実感はこれに対してビデオのようなもので、連続的な流れの中にある。もちろん、静止画的な、その日のセーリングという事もありますが、トータル的に見ればビデオ的ではないかと思います。

そして、この世の中は、決して止まったりはしない、流れの連続であるという事実です。時間が決して止まらない。何があろうと、常に流れていく。そういう事を考えましたら、やはり我々が第一に目指すべきは、充実感の方にあるかと思います。環境的にもうまく揃わない事も普通にあります。流れの中に幸福感を得る事を考えます。

従って、手段を持って、充実感を目指します。いろんな環境変化に対応しながら。そこで、充実感を得られる方法を考えます。もちろん、快楽もあって良いし、目指しても良い。しかし、それは一時的に目指すものであり、流れ続ける中で、究極の目的としてしまったら、あまりにも達成できない事が多い。環境が揃わない事が多いからです。

よって、結論は、ヨットという手段を使って、充実したヨットライフを目指す処にある。その過程において、苦労もあるだろうし、それに対する工夫や成長もある。もちろん時折、快楽もある。充実感を目指し、快楽も時々。そういうスタイルではないかと思います。

だとするなら、ヨットで言えば、工夫や成長を促す行為をするのが良いという事になります。その方法はいろいろあります。ヨットに詳しくなる。これは知的成長があります。メインテナンスに詳しくなる事も同じです。そのほか、セーリングにうまくなる。クルージングのノウハウを身につける。考えれば、まだまだたくさんあります。その全てに共通する事は、時間の流れにあって、成長するという事ではないでしょうか。この事は、長い時間を要します。だから、長く続ける事ができます。

全ては流れの中で考える。それが充実感をもたらす方法だろうと思います。継続する事が必要で、瞬間的な快楽も、もちろん歓迎すべきですが、それだけでは不十分ではなかろうか?やっぱり、継続的成長を促すような行為を軸とした方が、より良いヨットライフとなるのではなかろうかと思います。だから、簡単に言えば、ヨットという道具を手段としてうまくなるというプロセスを味わう。それこそが長期に渡って、面白さを提供してくれるのではなかと思います。それが充実感になっていくと思います。何故なら、変化する流れの中で成立した面白さだから。面白さは変化だから。

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