第五十六話 場面を思い描く

これからヨットを始めようと思われる方へ、ご提案があります。多くの方々が、自分がヨットのオーナーになって、いろんな楽しい場面を思い描かれます。ああしたい、こうしたい等々です。それはそれでおおいに結構なのですが、ひとつだけ申しげたい事は、全ては、変わりゆく流れの中にあるという事です。

これはとっても重要な考え方ではないかと、自分では思っているんですが、例えば、家族や仲間を集めてのピクニックや、どこか遠くに旅をするクルージング、或は、みんなで宴会したり、これらは多くの方々が一般的に描くシーンではなかろうかと思います。

それはそれで当然ながらあって良いわけですが、これに加えて申し上げたいのは、全ては流れの中にあって、現れては消える、また現れては消える。各シーンはカメラで撮った静止画であり、現実はビデオで撮った流れである。つまり、意識は静止画にのみ集中される事が多く、本当は、その両方に意識を向けた方が良いのではないかと思います。

流れの中にあって、一日と言えども静止画のようなもので、常に変化して流れていく。ある楽しい場面を想像しながら始めるヨットも、流れの中では一瞬でしか無い。そうなると、こんなはずでは無かったという思いが浮かんでくるのではなかろうか? 何故なら、一瞬にして消え、また次に来るのはいつかは解らない。そして、過去を振り返れば、そう多くは無かった事に気付く。

我々は静止画的シーンに一喜一憂するが、それらをまとめて繋いで、一本の糸のように見ればどうだろうか? そこに確実な成長があればこそ、面白さが沸いてくる。つまり、各シーンばかりを重視すると、その時だけの楽しさと思い出は残るかもしれませんが、これらのエネルギーはどうも時間と共に衰退しやすいのではなかろうか?

だから、一連の流れとして見ていくと、各場面の楽しさと同時に、流れの変化も見ますから、そこに成長があれば、面白さを味わう事になると思います。という事は、何をするにしても、成長がなければ楽しさだけを求めては長続きするエネルギーを養う事はできないのではなかろうか?

ですから、日々、成長を求めて、時々楽しさも満喫して、また成長を求める。自分のマリンライフの根底に上手くなる、より知る、理解する、等々の成長の変化を据えておく。その上で、場面に応じた臨機応変の楽しみ方をしていけば良いのではなかろうか?

理想的な場面はそう多くは無い。だから、そればかりを求めたら、がっかりする事の方が多い。だから、自分の成長を求めたら、全ての場面がその材料になる。そうこうしながら、成長を続けながら、そこに面白さを感じながら、そして時折やってくる理想的な場面を満喫して楽しむ。すると、面白さと楽しさをバランス良く扱う事ができる。

まあ、理想的な考え方かもしれませんが? ピクニックを企画し、クルージングを企画し、でも、普段は上手くなろうという考えを根底に持っている。いつも何か楽しい事はないかと探しているわけじゃない。それで、セーリングにはもちろん、クルージングにおいても、成長する事が基本的テーマにあるべきと思うのですが?

上手くなって、特別の何かになろうとするわけでは無いが、上手くなろうと思わないと、面白さが生まれない。上手くなりながら、セーリングもクルージングも様相が変化していき、それに伴う楽しさも違いが出てきて、ゴールは無いかもしれないが、味わいとしては、様々なフィーリングを味わえる。

主食はご飯、そこにおかずがいっぱい。ご飯は毎日食べても飽きないが、おかずが毎日同じでは飽きてくる。主食は成長、そこにおかずとして、楽しさや面白さ、スリル、退屈もあるかもしれない。
たくさん味わった方が、美味しかったと思えるかな。誰も退屈を求めたりはしないが、楽しさは求める。そうでは無くて、主食を求めて、そこに伴ういろんなフィーリングが変化をつけて、おいしいおかずとなる。だから、求めるは成長なのであります。

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