第六十一話 効率化の流れ

必要な物が無い時は、何でも良いから満たす事が先決になります。しかし、ある程度必要な物が揃うと、質の良さ、性能の良さ、効率の良さを求めるようになります。質や性能は良いんですが、効率化においては考える余地はあると思います。そこには、昔から根付いてきた習慣や文化みたいなものがあるんですが、だいたいにおいて効率化の方が勝ってしまう。そうなると、従来の文化は壊れてしまう。発展とはそんなものと言ってしまえば身も蓋も無いが、古い文化にも捨てがたい良さはある。人間の感性は、機械的な一方向のみへの発展には、ちょっと感覚的違和感を持つ事もあります。

ヨットにおいても、昔は、手に入れる事が最優先だったかもしれません。しかし、それがやがて効率化を求めるようになるのは自然の流れなのでしょう。それは便利という事です。ウィンチを回して、その必要な力の具合や、手の感触というものを味わったかもしれません。しかし、それが電動になると、強風だろうが、微風だろうが、要求される力はボタンを押す力のみで一定なのであります。

それが決して悪いわけじゃ無い。むしろ良い。何故なら、こちとら年取って、体力が昔のようにはいかないので、それでもパワーアシストを使えば、ちゃんと昔のように、或はそれ以上に楽に乗れるようになるから。 ただ、ボタン操作だけでは無く、自分の体を使ったその感じも悪くない。だから、全面的に電動に頼るよりも、ちょっとアシストしてくれるぐらいが良いな〜と思ったり。

例えば、電動自転車。 ペダルをこぐ必要はありますが、でも、電動アシストが軽くしてくれる。そんな風に、ウィンチハンドを回すも、力を軽減してくれる程度の方が面白いのではなかろうか?つまり、前述の文化的な部分の温存をしながら効率化を目指すという事になります。

セーリングはオートマチックでも、まだ調整の余地がありますから、そこに面白さは残されているものの、マニュアルという文化は、セーリングにおいて、ヨットをいかに走らせるかという面白さにおいて、やっぱり、マニュアルである事の貢献度は高いのではなかろうか? シートを引く力の加減を感じたりする事は、走らせるという行為において、面白さに貢献しているのではなかろうか?

それがボタンひとつになりますと、少なくともそういう部分の面白さは無くなります。だから、便利が良いのですが、過ぎると面白さが無くなって、何の為のセーリングかわからなくなるかもしれません。それでは本末転倒であります。

そこで、本来のマニュアル文化を残しつつ、便利を享受するというのが理想的でありますね。という事で、お薦めは、電動ウィンチ、おおいに結構でありまして、どんどん採用したらいいと思います。しかし、微風や軽風、或はある程度の中風域あたりまでは、故意にマニュアルでやってみる。そういう試みもあって良いかもしれません。

あるヨット、もちろん電動ウィンチ付きですが、タック時に、風下側のシートを緩めて、新たなシートを引くわけですが、その時、舵操作とのタイミングをうまく合わせますと、ウィンチ操作がちょいとしか要らない。そういう操作ができるようになりますと、電動ウィンチをわざとマニュアルで簡単にさばけるようになる事がちょっと嬉しくなって、面白くなってきます。

それで、電動を採用して、いかに電動を使わないでも楽に乗れるようにできるか? そういう事を考えても、面白さになるかと思います。だから、電動は、自分の力をちょいと助けてくれるサポートとしてみる。全面的に頼るよりは面白くなると思います。

マニュアルは従来からの文化、電動は新しい文化です。全面的に切り替えるのでは無く、マニュアル文化の面白さを残しつつ、新しい文化も取り入れる。そういう事を考えた方が、面白さという本来の目的えを見失わないで済むのではなかろうか?

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