第八十四話 セーリングのしくみ

風に対して、ある一定の角度を保って走ります。でも、風は右に左にと変化します。それだけでは無く、ある風速に合わせてセールを調整し、セールのドラフトや形状を調整して走ります。でも、その風は、風速が弱くなったり強くなったりと変化します。風向が変化し、風速も変化する。それが普通にあるわけで、セーリングはその風の中で、いかに上手い事走らせる事ができるか?

風向が変わったら、それに合わせて、走る方向が風に対して同じ角度になるように舵を切るか、或は、風向が変わったら、走る方向はそのまま維持して、セール角度を変えるかのどちらかになります。

前者は上り角度を稼ぐ時で、目的地に対する角度を稼ぐ時には、風向が変わる事で、目的地に対する角度が近づく方への変化なら、そのまま角度を追随しますが、不利な方向へ風向が変わるのなら、タックして、有利な方向で走る。(左右角度の比較の上)その有利か不利かを判断しなければなりません。そういうゲームです。それが解かれば、タックするか、まだしないかの理由になります。

また、風はその風速も変えます。せっかくセールをその時の風速に合わせて、形状をセットしたにもかかわらず、風は容赦無く、その風速を上げたり、下げたりします。そうすると、その風速に対して、新たなセール調整をする事になります。もっとパワーがほしいなら、そのように、パワーが過ぎるなら、パワーを抜く。そういう作業になります。

この前述したふたつ、風向と風速が同時に起こるからまたややこしい。しかし、これこそが、セーリングの面白さを演出しています。もし、変わらないとしたら、セーリングは面白くありません。、ただの移動になってしまうかもしれません。

この風向と風速の変化を、遊んでやるのがセーリングですから、いつも、その変化に注意を払って、いかに快適なセーリングが実現できるか、どこまで追随できるかを遊びとして楽しむ事になります。全ての艤装はこの為にあります。

とは言っても、いつも完璧に追随できるわけではありませんし、また、そのやり方も複雑な事があります。と言う事は、頭脳の勝負という事になります。この風の時に、どういう角度でどういう形にしたら良いのか、そして、それを形作る為には、どういう操作をしたら良いのか?そういう遊びです。

その操作は最初は大雑把になります。しかし、徐々に解ってくる事で、より繊細な操作になります。
ひとつの艤装を操作する事は、同時に、目的以外の他への影響がある事も解ってきます。それで、総合的な操作を実現していきます。全体を見ながら、各部を調整していく事になります。

セーリングはこれだけに留まりません。風の変化を知る事やセーリングの状況の変化を知る事など、調整前や調整後の結果を感知できなければなりません。計器によって、風向風速、ヨットのスピードは客観的に知る事ができます。しかし、セーリングはそれだけでは不十分で、人間の感覚的感知力も試される事になります。

計器は客観的ですから、誰が見ても同じ数値を得る事になりますが、人の感覚は人によって異なります。微妙な変化を感じ取る事ができる人も居れば、感じ得ない人も居ます。感じ得ない人は、その感覚から、何らかの操作をする事ができませんし、その走る感覚も違うわけです。ここに差が生まれます。とは言っても、この感覚は、鍛える事ができる。そこが面白い処でもあります。

以前、レースでは無い、一般のセーリングにおいて、求めるのはスピードだけが全てでは無いと書きました。では何か? それはこの感覚にあると思います。微妙さが解る感覚、より多くを感じれる感覚の鋭さの向上にある。それは操作にも反映し、走りにも反映していきます。

シングルハンドでセーリングしていて、ハイスピードを求めるのですが、超ハイスピードである必要は無い。どの程度かは人にも寄りますが。 その代わり、神経を集中させて、あらゆる場面での、セーリングで、より多くを、より繊細さを感じれるようになる事は、面白さそのものでは無いでしょうか?そして、感じればこそ、次の意図も生まれ、変化も生まれる。

同じように走っても、より多くを感じれる人は、その変化に面白さを感じるでしょうが、感じれない人にとっては、その面白さは解らない。どうせやるなら、感じて、面白さをより多くもった方が良いでしょう。何気ない普通のセーリングに、ある人は何と滑らかなセーリングなんだと感じる人も居れば、全く解らない人も居ます。それゃあ感じれた人の方が面白いと思うに違いない。

だからこそ、感知能力を鍛える事が重要だと思われます。その為には、できるだけ頻繁に回数を増やす事。一回のセーリングが長いよりも、短くても、できるだけ頻繁に。そして、集中できる時間を持つ事、それでもって、良く観察する事ではないかと思います。そういう事を続けていれば、自然に、誰でも、感知能力は高まっていくと思います。そうなると、徐々にセーリングの面白さも増えていく。これはまさしくデイセーリングそのものであります。

それで、ある日、これまでには気づかなかった微妙さに気づいていきます。瞬間的な加速感や、滑らかさに気付きます。もっといろんな事が解るようになります。それが面白くないはずがありません。計器から解る変化+感知能力を鍛えていく事によって徐々に解っていく変化があり、これが解るから意図が生まれ、操作をして、さらに変化を生み出す。

セーリングを楽しむというのは、どれだけ感知能力を上げられるかにかかっているのかもしれません。そのセーリングとは、デイセーリングそのもののスタイルではないでしょうか? デイセーリングは大雑把から繊細さへ、頭脳プレーと感覚プレーを楽しむ。そして、慣れていけば行く程に、頭脳を使う事にそんなにエネルギーを必要としなくなります。頭脳に使われるエネルギーが少なくて済むようになればなるほど、そのエネルギーは感覚に注がれ、よりまた多くを感じる事ができる。特段の集中力を発揮しなくても、より多くを感じれるし、集中すればもっと感じれる。

セーリングは、ちょっと練習さえすれば、誰もができるようになれる。でも、本当の面白さは、そこから先にあります。動かすだけで良いのか? 乗れれば良いのか? ああして、こうして、という試行錯誤そのものがセーリングの面白さであり、それによって得られる貴重なフィーリングこそがセーリングにおける快感なのではないかと思います。

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