第八十九話 二つの遊び方

遊びには二種類あると思います。ひとつは、ヨットを使って、ヨットで遊ぶ。仲間を招待して、宴会したり、ピクニックしたり、寝泊りして別荘的に使ったり、たまに時間がある時は近場にクルージングに行って、そこでの散策やご馳走を楽しむ。

もう一つの方法は、セーリングそのものを楽しむ遊び方です。いかに自分のヨットを走らせて楽しむかという事をテーマに、試行錯誤を繰り返したりします。レースもこの分野に分類されると思いますが、必ずしもレースである必要は無い。

前者はヨットを手段に、何かを楽しむ事であり、これはレジャー型と言って良いと思います。そして、後者はセーリングそのものですから、そこには技術の向上とかも要求されますから、趣味型と言って良いかと思います。

圧倒的に多い乗り方は前者のレジャー型です。後者の趣味型は、少ない。これはレジャー型か趣味型かのどちらかのみしかしないという事では無いかもしれません。時にレジャー、時に趣味となるかもしれません。しかし、主たる軸として、圧倒的にレジャー型が多いんだろうと思います。

レジャー型であるなら、でっかいキャビンが良いし、そのでっかいキャビンが故に動かすのが大変になるのも、バウスラスターや電動ウィンチ等で簡単にするという解決策が出てくるのも解る。その他、エアコンがあり、温水があり、テレビがあり云々。レジャーとして楽しむには、あった方が良いな〜、いろんな場面を想像しますと、これらの備品はあればあるだけ、もっと想像する事ができます。

一方、趣味型になりますと、セーリングが主体になりますから、ヨットの質や性能は重視しても、その他のエンターテインメントについては重視しない傾向にあります。できればシンプルに、セーリングの操作はしやすくと考えます。

こう見ますと、この二つの遊び方は、ヨットである事は同じですが、全く異なるテーマで遊ぶ事になります。どちらが上とか下とかは言いません。それは、各人の性格、価値観等々によって選択されるべきものです。しかし、何となくこっちという選択、特にレジャー型に多いと思いますが、その何となくの選択は、それで良かったのか、と疑いたくなる事があります。それは、そのヨットが滅多に動かない事が多いからです。使われていない事が事実なら、その選択は正しかったのかと疑いたくなります。

それで、どっちの方が良いんだとは、やっぱり言いませんが、でも、自分のスタイルを、もう一度、観察してはどうかとは思います。そのスタイルで良いのか?良いなら良いんです。確認です。
自分の性格、価値観、日々の生活スタイル、家族、時間、等々、全体を考慮して、どういうスタイルが良いのか?

もちろん、両方をするのでも良いし、殆どの場合で、片方しかしないという人はレーサーの人達ぐらいかもしれません。だから、両方を楽しむで良いわけですが、どっちに軸足を置くかというのが重要だと考えます。それも、今と、将来は違うかもしれない。環境が変わるかもしれない。しかし、今はどうなんでしょう? 今から、当分の間です。

環境を冷静に理屈で検討する必要があります。でも、人間ですから理屈だけでは不十分で、自分の感性はどうなのか? これも踏まえたうえで、どうするかを、何となくではなく、意識的に選択する事が、将来、後悔しない為にも必要なのではなかろうか?

選択をする時、多分、理屈では無く、感性が勝つのではなかろうか、特に遊びに関してはそうではなかろうかと思います。大事な事は、両方を検討して、理屈では無く、感性においてそれを選んだという、認識がある事だろうと思います。どのように検討して、どのように決めたという意識、つまり、意識的選択であれば、後々の後悔は少ないのではなかろうかと思う次第です。例え、滅多に動かさない結果になったとしても、意識的に決めたわけですから、仕方なかったわけですし、意識的であればこそ、今、変える事ができるかもしれません。何となくの選択は、何となく時間も過ぎてしまうのではなかろうかと思うのですが?

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