第七十七話 考えるセーリング

非日常性を味あわんとして海に出る。陸上生活とは全く異なる世界が広がります。もうそれだけで癒される。でも、頻繁だったら、それが日常に組み込まれる。ヨットで海に出て、その非日常性を味わうも、しょちゅうやると、非日常性であるエキゾチック感が減衰していく。だったら、非日常性は年に数回に抑えておく方が良いかもしれない?

レジャーは日常から逃れて、違う何かを求める事かもしれない。でも、だからこそ、年に数回で良い。もし、しょっちゅうやるようになると、単なるレジャーにはとどまらない。もし、温泉に行くとしたら、それがしょっちゅうになったら、どこどこの温泉はこう、あっちはこう、効能がどうこう、料理がどうこう、単なるレジャーから批評家に変わってしまう。趣味としての批評家です。

ところが、趣味となると、これも非日常かもしれないが、毎日でもやりたくなる。そして、その非日常性は決して衰える事も無い。何故か? 面白いからであります。趣味は頭を使い、体を使い、研究もするし、工夫もする。だから面白さが解る。だからしょっちゅうやります。スポーツも同じ、絵画にしても、陶芸にして、写真にしても、皆さん同じではないかと思います。そこで得た面白さは、どこかに定住しているわけでは無く、常に先に進んでいます。だからこそ、面白さが変化しています。だから、留まる事を知らない。

さて、そこでセーリングを考えます。これをレジャーとして捉えるなら、年に数回の非日常性を味わうに留まるかもしれません。でも、これを趣味とするなら、しょっちゅう乗りたくなります。あらゆる趣味において求める事は、上達する事だと思います。そこに面白さがあります。レジャーと趣味の違いはたまにやるか、しょっちゅうやるかの違い。その頻度によって、人は接し方を変えてくる。或は、接し方によって頻度が違って来る。

そこで考えるセーリングをします。単に非日常性を味わうだけで無く、その非日常性の為にも考えるセーリングをする。その為の条件としては、シングルハンドが最も良いと思います。何故なら、誰かが一緒の時、レースでも無い限り気を使います。考えるセーリングがしづらくなる。という事はシングルで最も操作がし易いデイセーラーが最も相応しいという事になります。

ヨットをされる方は、多分、皆さん知的な方が多いかと思います。セーリングのああでも無い、こうでも無いという理屈に飛び込んでこられた方々ですから、考える事が嫌な方は多くはおられないかと思います。だったら、考えるセーリングをして、知的ゲームをする事を御勧めします。それは単なる本に書かれたセーリングの理屈を試すという事に留まらず、自分の中から沸き起こってくる疑問等を確認していく事も良いと思います。常識とされてる事をそのまま鵜呑みにせず、もしそこに疑問があるなら自分で確かめるという行為は、より深くセーリングを味わう事になると思います。

その考えるセーリングにおいて、あったら良いなと思うのが計器類です。風向風速計とスピード計、それにGPS。GPSは何も海図が出る必要は無く、スピードと方位が解かれば良いかと思います。

風に対して上る走り方はセーリングの醍醐味のひとつですが、それを自分のヨットで詳しく知りたい。風向風速計を見て、どんどん上っていきます。それに従って、セールは内側に引き込まれます。そして角度がつまってきたら、セールは最も内側に引かれ、しかもフラットにならなければならない。見かけの風向に対して30度で上っているとするなら、セールはそれに対して、中央から30度出したのでは、セールが風向と並行になり、バタバタします。ですから、それより内側に引かねばなりません。上れば上る程に、この角度は小さくなりますから、その時セールを大きくカーブさせては、セールが厚過ぎ、角度は大きくなる。よって、角度を詰めた時は、セールはよりフラットにしなければならない。

ところが、風が強い時はそれでもパワーがありますが、風が弱い時は、本当はセールを深くしたいのですが、角度をつめたいなら、セールはフラットにしなければならいないし、そこで、本来は角度を落として、スピードをつけてというのが普通ですが、この際ですから、風が弱くても、フラットにして、どこまで上れるかも確かめても良いかと思います。風が弱いから上れないのでは無く、パワーが少ないからスピードが出ないというだけ。それも、どの程度の風速でどの程度のスピードが出るのか? 上りの時の限界状況が良く解ってきます。 上り角度の限界とか、スピードの限界とかです。

それも知ったうえで、やっぱり風が弱い時は一旦角度を落としてスピードをつけてというセオリーに納得がいきます。でも、知らないでそうするより、納得してそうする方が良い。しかも、弱い風という曖昧な表現では無く、風速何ノットでそうなるか?スピードはどうか?風が弱い時は、走らないな〜と思うだけでは無く、考えるセーリングで、研究や工夫や、いろんな事を考えて試すのも面白いかと思います。

多くを知らないでも、少しの知識があれば、セーリングを楽しむ事はできる。レジャーとしてならそれでも良い。でも、これから10年楽しむとしたら、趣味としてのセーリングにした方が良い。

セーリングはある程度のボートスピードが出た時だけを楽しむとするなら、それはレジャーの域から脱し得ないと思います。そうすると、非日常性は年に数回に抑える事になる。だから、考えるセーリングをして、趣味とする方が、面白さが何倍にもなろうかと思います。微軽風を遊び、強風をも遊べる。そんな幅広さを持つ事ができるようになるかと思います。だから、10年でも、一生でも遊ぶ事ができる。

考えるセーリングは知的ゲーム、それを実践して、最後に得る感覚は、それまでのプロセスによって、違って来る。最後の感覚は重要ですが、それまでにどういう知的ゲームを経てきたかにも寄るかと思います。

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