第十八話 遊びの技術

   
   

遊びの技術と言っても、要は自分を楽しませるノウハウの事で、確かにセーリングする技術は深ければ深い程に面白さが湧いてくるとは思いますが、それよりもまずは自分が楽しむノウハウの方が重要かもしれません。それはピクニックを如何に楽しむかとか、キャビンの使い方、せっかくあるギャレーですから、如何に料理を楽しむか、ちょっと出かけて如何に工夫して楽しめるようにできるか?

これは言わば近場での遊び方のノウハウという事になると思います。近場を本当に楽しむ事ができるなら、しょっちゅうやれますし、誰かを誘う事もできますし、途中で天候が変わって時化てきたら、エンジンですぐに帰れますし、臨機応変に対応できます。近場だからこそいろんな事ができる。でも、それを最高に楽しむには遊びのノウハウが必要になる。

セーリングの技術は基本的な事さえあれば良い。行きたい方向に走って、最後はマリーナに帰れれば良い。湾内で楽しむ限り、セーリングが下手でも遊び上手の方が楽しめる。遊び上手は何か特別の事をするわけでも無く、何でも無い事でも意識して面白さを見出す事ができる人だろう。これがなかなか日本人には苦手なのかな〜?

昔ですが、ある山を購入してペンションを造った人が居た。その山には何もない。山と河があるだけ。オーナー曰く、そこに来る客は殆どの人達が昼間は街に降りて遊んでくる。自然を散策して楽しむ人達は少ない。せっかく、こんな山の中に来たのに。何もない自然しか無いそういう環境で楽しむ事はできなくなったのだろうか? じゃあ何でこんな山の中に来るんだろう? そんな疑問を持っていた。

ヨット出して、ただゆっくり走ってくる様、これだけでも地上とは全然違う非日常なのですが、それさえも楽しめなくなって、遠くに行きたくなる。それも解らないわけじゃないが、湾内でも、普通でも、ただ漂うだけでも、楽しめる遊びの技術があれば良いのかもしれない。

ひょっとすると、遊びの技術はセーリング技術に比べたら遥かに難しいのかもしれない。習得すべきはこっちの方かもしれません。セーリング技術は本に書いてある。遊びはどこにも書いてない。自分自身に問うしか無い。今度出た時は自分の遊びを意識してみよう。何が楽しくてヨットやるんだろう?

ところでスポーツの語源は”気分転換”なんだそうです。成功、失敗、勝ち負け、上手/下手等を気にせず、思うがままに身体を動かして楽しむ事なんだそうです。結果を気にせずプロセスを楽しむ事、それが本来のスポーツなら、それは遊びそのものです。

自分が楽しむのにノウハウが必要だなんて馬鹿げていますね。子供は自然に遊びます。大人は長い間仕事してきて自然に持っていた遊びのノウハウを忘れてしまったのかもしれません。もしそうなら、取りあえず無目的にまずはヨットを出してみて、自分の感覚がどう変化していくのかを意識するというのはどうでしょう?要は感覚ですから。そこから何か拾えるかもしれません。遊びはスポーツです。旅も、ピクニックも、泊まりも、宴会も、漂うのだってみんなスポーツです。レースはその中のひとつのジャンルに過ぎません。そうか、シングルハンドの何が難しいって、操船技術というよりひとりで楽しむノウハウの事なのかもしれません。


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